急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

たほいや会、自由主義とたほいや、今期レビュー

たほいや会の告知も兼ねつつ前々からぬるっと考えていることを。めんどうと思う方は下の方の今期のお手軽レビューだけでも。

 

月に一度、中津で広辞苑を使ったアナログゲームたほいや」の例会をやっています。

ちなみに、3月の開催は3/28の開催となりました。

twipla.jp

2015年の中津ぱぶり家オープン時から地道に月イチ開催なので結構な回数をやっていますね。

自分で定例会を開催するのは、ただ純粋にたほいやが好きでやってて楽しい(にもかかわらず他に定例会をやってるとこがない)っていうのが第一なんですが、バックグラウンドには学生の頃に読んだ土屋惠一郎の本の一節に強く惹かれたというのがあるんですよね(ちょうどマイケル・サンデルが流行って、「無縁社会」がメディアで騒がれていた頃ですね)。

 

正義論/自由論―寛容の時代へ (岩波現代文庫)

正義論/自由論―寛容の時代へ (岩波現代文庫)

 

 

土屋自身も孫引きしてたかと思うんですが、概要は以下の様な感じ。

秩父事件を例にして、秩父事件で中心的な役割を果たした人たちというのは、秩父周辺の連歌会のコミュニティだったそうで、連歌のような他者との共感に根付く文芸とか創作活動の集まりがリベラルな精神を涵養し、他者への困っている人々の救済、社会的不正に対する異議申し立ての原動力となりうるんだ云々。

 僕自身なにも武装蜂起とかしたいわけではないですが、豊かな社会っていうのはよりいろんな人が生きやすい社会ってことだと思うんですが、そこには他者への共感ってものが不可欠ですよね。逆を言うと、全体・国家主義的な発想というのは、他者へ共感する回路を遮蔽することではじめて、無慈悲に全体・国家のために他者・弱者を切り捨てることが可能になるわけで。

他者への共感にっていうのは文脈把握につながるわけですが、連歌が成立するには上の句の意図を読み取った下の句が必要不可欠なわけです。他者とコミュニケーションを行う上では相手の言葉をよくよく理解し、その意図(言外のものも含めて)を読み解く、そしてそれに適切な応答を返す。ある種このコミュニケーションにおける当たり前のプロセスを高度に洗練させ、遊戯化したのが連歌だと言えるかもしれません。

いずれにせよ他者への共感、文脈理解といった要素から構成される人文知・リベラリズムの基礎体力的なものを涵養するのに適していたのが明治維新の頃だと「連歌」だったわけです。当時でもすでにそれなりにハイカルチャーだったのではないかと思いますが、中世のころにはそれなりに大衆的?な娯楽であったのではなかろうかと。

では、現代においてそれに類するようなポテンシャルをもったものは何かなと考えると、ぱっと思いつくのが大喜利、そして、このたほいやかな、と。

ここでいろいろ書くには僕自身の考えもまとまっていないのでまたの機会に。

 

今期のレビュー。他にもいろいろ見ているのですが突起すべきものをピックアップ。

 

ダーリン・イン・ザ・フランキス

久々に期待できそうなロボットアニメ。コヤマシゲトデザインなので某銀河美少年風味が強い。ある種のディストピアものでもあるのかな。これまでのところ、せっかくのトリガーなのにあまり戦闘でわくわくする展開に乏しいかなという印象。

 

ゆるキャン△

安定のきらら枠。キャンプだけでストーリーテリングしていくのも難しかろうかと危惧していたけれど、杞憂に終わる。

教訓めいた挫折と成長的な物語の起伏というのは必要じゃなくて、ありふれた日常を肯定する、という「ゆる」と名乗りながらも、易きに流されない強い意思を感じる。

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

京アニの作画が素晴らしい。だけではないアニメ。

こういうわかりやすく業を無自覚の内に背負った主人公ってのは嫌いじゃない。

機龍警察がアニメ化される折には、ライザは石川由依がいいんじゃなかろうかなどとおもふ。

 

宇宙よりも遠い場所

宇宙と書いて「そら」と読む。女子高生4人組が民間南極観測隊の一員として、南極を目指す。あまり注目してなかったけど、この作品こそ今期のダークホース。エモい。

 

ハクメイとミコチ

こちらも派手さはないけど「やさしい世界」にほっこりできる掘り出し物的物件。

アズールとサグラダ インスタ映えするボードゲームと二大世界宗教

3月になりました。 

最近は諸般の事情でハードワークが 続いており、安易に精神的な潤い求めてしまう…ということでついついお財布の紐も緩みがち。

てなわけで、2月末に日本語版が発売されたばかりのアズールを買いました。

前評判の高さもうなずける実にいいゲーム。ビジュアル的にもサグラダ級、ゲーム性も宝石の煌き並に気に入ってます。

 

・アズール

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タイルアーティストとなって、アルハンブラ宮殿のようなアラベスク模様のタイルで宮殿を飾ろう、というコンセプトのゲーム。

プレイヤー共通の資材を所定の順で取って個人ボードに配置していく。配置の仕方によって得点の入り方が変わってくるが、終盤ほど配置の制約が多くて苦しくなってくるっていうパズル的な要素もある。

夙川おもちゃひろばの赤尾さんが、キリスト教的モチーフの「サグラダ」とイスラムの「アズール」と比較してたけど、(ユダヤ研究者である)赤尾さんでなくとも、インスタ映えする美しいコンポーネントだけでなく、上記のゲーム性含めて「サグラダ」と比較せずにはいられまい。

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ゲームデザイナーはモチーフとしてステンドグラスなりアラベスクのタイルを拝借しただけ(なつもり)だろうけど、ゲームシステムにも自ずと両宗教の思想性の違いが出ている…という論じ方ができると面白いですね。 遊戯の起源は宗教的儀礼であり云々という前段から始まるとよりそれっぽい感じが出ます。

という他愛ない話はともかく、両者はやはり建築物の装飾を題材としてるだけあってゲームを進めるほどに盤面が充実していく様は(たとえ得点が伸びなくとも)とても心地よい。これだけで遊びがいのある作品だと思える。

 

サグラダはそもそも個人ボードを各自で選択できたり、ダイスの配置箇所も各人の裁量である。また便利アイテムや得点条件も毎回変わるなど繁雑さ雑多さを積極的に盛り込んでいる印象。これはさながらキリスト教世界宗教になる過程でさまざまな習俗や信仰を取り込みながら自らの教義を確定させてきた歴史に通ずるところがある。

一方で、アズールは個人ボードは共通であり、得点の方法も一定である。プレイ感としてアブストラクト的な印象が強いと言われることも多い。どちらかというと雑多な要素を排し、できる限りシンプルさであったり普遍性を志向したゲームと言えるだろう。

また、サグラダは他プレイヤーへの干渉要素(他プレイヤーが欲しがってそうなダイスをカッティングする等)が薄い(有効性に乏しい)のに対し、アズールの場合はしばしば行き場のない同色タイルの塊というマイナス要素を押し付け合う局面が生じるし、相手に大きなマイナスを引き取らせるように仕向けることはとても重要な戦術となる。この点を以て武力を否定しなかった教祖ムハンマドに通じるところもある、とするのはいささか乱暴ではあるが(イスラムが特別好戦的な宗教というわけではなく、キリスト教も十字軍や魔女狩り等その悪行には枚挙の暇がない)。

 

まあここまで書いて安易な宗教比較は危険だと改めて思い至った次第です。

 

ゲーム性の話。

サグラダは「キラキラしたダイスをたくさん振れる。たーのしー」的な直感的な面白さもそうですが、人数が多い方が楽しめる気がする。一方、アズールは3〜4人でも面白いけどその本分は2人戦だ、という意見がしばしば見受けられる。人が増えることによる不確定要素の増大をどのように評価するかだろう。将棋やチェスのようなアブストラクト的なゲーム性を重視する(シリアスな)プレイヤーからすれば2人戦がベストとなるし、宝石の煌きのように、自分の戦略を持ちつつも、ラウンド毎の場へのサプライや他プレイヤーのインタラクティブによる変動要素にフレキシブルに対応できるかを面白がる人なら3〜4人戦の方が評価が高いだろう。まあ遊び方の幅がある、ライトなプレーヤーからシリアスなガチゲーマーまで遊べるという意味ではアズールの方が裾野が広そうか。

 

いろいろ書きましたが、アズールおもしろいのでぜひいろんな方に遊んだいただかたい、ってのと文芸評論的なノリでボードゲームをネタに話広げるのは難しいってことですね。

 

雑記

仕事のストレスに任せて最近ヘブン&エールも買ってしまったり、宮内悠介の『超動く家にて』が超よかったよという話もしたかったけどちょっと疲れました。

第2回文フリ京都、参加してきた。

なんだかんだで2018年最初の投稿となりました。

遅まきながら本年もよろしくお願いします。

 

さて、1/21(日)に京都のみやこめっせで開催された第2回文学フリマ京都に参加してきました。こ-16ブースにサークル名「中津ぱぶり家」。

9月の文フリ大阪に続き2度目の参加。

今回は、前回コピー本止まりだった「たほいや問題集」に手を入れて「たほいや問題集"大語(誤)解"第一版」として頒布しました。

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差分をまとめます。

文フリ自体の感想はその下に。

 

1.製本形態

前回は当日AM1時に原稿完成という有り様でしたからコピー本でしたが、今回はちゃんと、というとアレなんである程度計画的に進めて、

ちゃんとした印刷所で刷ってもらいました。

いくつかネットサーフして一番安くかつ納期も早かった株式会社栄光で刷ってもらいました。

全面モノクロのオフセット印刷本文122ページプラス表紙を100部で5万4千円くらい。ですので、一部500円ではすでに原価割れですが、そこはたほいや普及のため。

パワポで原稿を作っているので入稿に際しては戸惑いましたが、とりあえずPDF化して入稿したらなんとかなりました(余白が少な過ぎた感はありますが、まあ形になっただけでも)。

ダンボール箱にぎっしり詰まった本紙を見たときにようやく同人作家デビューした感がありました。

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2.収録題数

収録したお題を前回50→60題に増やしました。

9月〜11月のたほいや会での良問を厳選して追加。この辺はいい問題が多くて悩みました。

なお、収録題が増えたということはそれに伴い、解説や小ネタも追加の必要あり、ということでその辺は次項。

 

3.執筆依頼

前回もたほいやプレーヤー名鑑の箇所はたほいや関係者に原稿をお願いしましたが、今回は追加分の解説や小ネタを常連のえもさん、藤原さんに執筆協力いただきました。お二方とも本問題集のテイストを押さえつつ、遊び心に満ちた原稿をいただきました。改めて深謝。

 

4.ページ配置

最も重要にして今回出展の最大の動機であった、見開き左に出題、右に回答で答え見れちゃう問題、ミスを改善し、出題のあるページをめくると裏に回答、解説が載ってるという形式に変更しました。

また、えもさんからのアドバイスで、ページ配置で小ネタを上、出題を下にして考えてからスムーズに回答へ行けるようにしてみました。

また、プレーヤー名鑑はなるべくその人らしい出題のところに載せるようにしてます。

 

5.補足ネタ

プレーヤー名鑑に本人コメントに加えて、主催からのコメントを追加してみました。あまり深い意味はありません。

また、お題収録ランキングを作ってみました。言って見れば良問出題ランキングですね。大した数ではないですが、まとめてみると意外な気づきがあったりしますね。今後のたほいや会では頑張れたら回答先や勝者とかまで記録できればな。正答率や勝率云々よりも、プレーヤー別の振り込み先(カモられ)ランキングとかぜひやってみたいなと。

 

長くなりましたが、文フリ京都自体の感想をば。

みやこめっせ自体始めてだったんですが、今回は一階のけっこう広い展示場で、文フリ大阪よりも規模が多かった。

 

ただ、ジャンル的には小説などの創作系が多くて、文フリ大阪には比較的多かった評論というかエッセイというかアホ企画系が少ないように感じました。ちょっとそこは残念。

われわれは他の居場所もないので、評論ブースにおりました。今回は執筆協力のえもさん、藤原さんと一緒に。お二方とも文フリ初参加とのこと。

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広辞苑をブースに置いとくと、なかなかいろんな人の目を惹くようで、立ち止まった人に「広辞苑はご覧になったことありますか?」を呼び水にいろんな人に半ば強引に声をかけまくり売り込みというかたほいやの簡易インストをしまくりました。たほいやを懐かしい〜と言ってくださる方も何人かいらっしゃいましたが、基本的には!?な反応が多かったです。

ただ、そこは文学フリマだけあって興味もってくれる方も多く、1日で結局25部頒布できました。予想以上の出来高でした。正直ホームグラウンドとは言い難い環境でよくやったのではないでしょうか。

あと、ボードゲームをいくつかおいといたらそれはそれで食いつきがありました。やはりワーバスが一番知名度ありそうでしたが、 ワンスアポンアタイムも某アニメの影響か食いつきが得られました。さすが物語を創造するカードゲーム。(しかし、たほいや問題集に未収録)

 

お隣のブースで「まわし読み新聞」という見慣れた文字があったので声をかけたら陸奥賢さん本人で、まもなく商業版が出るから同人版は逆に希少という「まわし読み新聞のすすめ」をいただきました。

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陸奥さんとは中津ぱぶり家もご存知で、行ってみたいと思ってた、とのことで今度イベントやりましょう!ということになりました。読んだふり読書会と通ずるものがあるとい流れで、演劇シチュエーションカード「劇札」https://m.facebook.com/gekifuda/?locale2=ja_JPとかおもしろうだとなりました。近日開催か。

 

 

大語(誤)解 第一版と銘打っていますので、できれば年一くらいで更新していきたいなと思ってますが、手が回るかどうか。

目先は第一版の在庫残り約75部をいかにして掃いていくのか。文フリでの感触や告知ツイートへの反応から、春のゲームマーケット大阪にも持ち込んだらそこそこ出そうかな、と。

どこかのブースで委託販売とかやってもらえないかな、と。ちなみに在庫は中津ぱぶり家に来ていただければいつでもお渡しできますので。

 

といことで、ここ最近のビッグイベントというか、一大出力作業である文フリ京都を終えて一服しております。

しばらくはお休みというか入力期間かなということで本を読みましょう。買った本が続々と積まれています。積まれたボドゲや録りだめたアニメも気になりますが、いまは本を読みたいなと。そんな今日この頃です。

 

 

 

2017年を振り返る

すっかり年末ですね。1年が過ぎるのは早いもので。

僕は労働時間規制の観点から、最終出勤は12/25で、あとは積極的に有給休暇を消化しておりました。なお、実際の仕事は多くは語るまい… 近年はノートPCさえあればどこにいても仕事ができるわけですから本当に便利な時代になったものですねぇ… 

 

さて、自分なりにあれやこれやありました2017年をカテゴリ別にさくっと振り返ります。

家庭編、仕事編、ボドゲ編、たほいや/同人活動編、読書編、アニメ編の6つです。

 

1.家庭編

昨年末に誕生した我が子さんですんが、12月で晴れて1歳になりました。

特に病気らしい病気もせず、よく食べ、よく寝てすくすく育っております。気性は今のところとても穏やかです。これは人徳者である父親の気質を受け継いだに違いありません!?

家事やら育児やらで忙しい日々ですが、少しずつできることが増えていく我が子の成長に感心しきりの一年でした。早期教育といえどもボドゲをやるにはまだ早過ぎますね。

 

2.仕事編

今年後半からなぜか増える海外案件。元来、大阪にいるともともと東京よりも海外案件が少ないのですが、担当分野の兼ね合いもあり、それを差し引いても少なかった海外案件がちょこちょこ話が出てくるように。

錆びついた受験英語を研ぎ直す間もなく手当たり次第に英文を書き連ねる機会がちょいちょいありました。

その甲斐あってか、年明けに会社人生初の海外出張へ行くことに。まずはアジア圏からですが。

正直なところこれまでは僕自身も海外案件は及び腰で避けて通ってきた節もありますが、これからは開き直って積極的に取り組みたいなと(海外工場の垂直立上げという業務上の切迫した必要性もありますが)。あまり意欲的な社員ではない僕ですが、こと欧州、特にドイツ語圏の案件に関しては極めて意欲的に取り組む所存です(意訳:ボドゲの本場で遊びたい、買いたい)。まずは初夏くらいに業界の展示会を狙ってドイツ出張をば。

 

3.ボドゲ

気づいたら所有ボドゲが100を超えていることがわかりました。今は120くらいでしょうか。ちゃんと数えていませんが。

 

一番面白かったボドゲは、夏に開催した「ボドゲ沼からの脱出 ボドゲ総選挙帰れま5」という我ながら正気でない企画ですね。これはボドゲというかメタなゲームですが。

他ではなかなかできないボドゲ体験だったかと。

述べ11時間超で通算35ゲーム、そして実際は帰れま5でも帰れま10でも変わらなかったというオチでした。本当にお付き合いいただいた皆様ありがとうございました。

この手の企画は趣向を変えて来年も何らかの形で開催できるといいですね。

 

ちなみに純粋に2017年のマイベストボドゲはサグラダですかね。

それこそインスタ映えする多彩なコンポーネントだけでなく、ゲーム的にもパズルを埋めていくワクワク感、苦しいところをきっちり揃えられた爽快感がいい感じ。ボードゲーマーでない人とも何度か遊びましたが非常にウケがよかったですね。入手にあたっては富山のボドゲショップEngamesさんにお世話になりました。(実家のある)富山でもボドゲが流行らんことを。

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次点でキングドミノ。話題性でルターの宗教大改革かな。

つくづく中量級ゲームばかりでいわゆる重ゲーはほとんど遊んでない。小説も短編集はよく読むけど長編は積極的に読まなかったりするので関係あるのかないのか。

 

逆に買ったけど遊べていない”積みゲー”になってるファーストクラス、アドレナリン、セブンワンダーあたりを早々にプレイしたいところ。

 

4.たほいや同人活動

中津でのたほいや会も4月で2周年を迎え3年目に突入。

9月には文フリ大阪でたほいや会で過去出題された問題と答えにテキトー(注:「適当」ではない)な解説とさらにテキトーな小ネタを添えた「たほいや問題集」を出しました。

特に解説については基本的に辛口路線にもかかわらず、特定の(人物の)回答はべた褒めしまっくていて落差が激しいとの”お褒めの言葉”を多数いただきました。

これはもちろん読み物として飽きないように”あえて”ラディカルな書き方をしているだけですのでみなさま悪しからず。

 

ちなみにこれにて一応、念願の同人作家デビューです。

小説とか評論とかは正直性に合わないなあと思っていた自分にはこういうのがちょうどよいかもしれません。

しかしながら、原稿の完成が当日深夜1時という有様で、本紙にも致命的なミスがあったりで悔いが残るものではありました。

そんなわけで現在増補改訂した真版を1/21の文フリ京都に向け製作中です。果たして今回はコピー本を逃れられるのか…

 

5.読書編

今年はひとえに月村了衛『機龍警察』シリーズ最新5作目となる『機龍警察 狼眼殺手』発売、これにつきるでしょう。新刊が出るたびに最高傑作とファンに言わしめる本作ですが、今作も月村先生はやってくれたな、と。

至近未来SFというジャンルづけになっていますが、(SFとしてはいわずもがなとして)、ミステリとしても間違いない一級品ですので、シリーズ未読の方はぜひ。

人文系ですと、年初に読んだ稲葉振一郎『宇宙倫理学入門』が秀逸でしたね。SF的世界観を倫理的に考えていく、突き詰めていくという営みは人文研究でありながら、また新しいSFであるみたいな。

 

とはいえ、今年は総じて本をあまり読めてないですね。来年は最近の興味関心から科学史系の本を読みたいなと。

 

6.アニメ編

ちょいちょい深夜アニメ見てますが、今年はプリンセスプリンシパル宝石の国の2強って感じですかね。次点で小林さんちのメイドラゴン

プリンセスプリンシパルは当初黒星紅白絵でスパイアクションものというのはやや無理があると思ってたんですが、物語のなかなかのハードさに対して絵柄のかわいさで結果バランス取れてたな、と。話数をシャッフルする演出方法も作風にハマっていたかと。

宝石の国は宝石たちの光沢感の表現とか月人の不気味さはCGアニメならではだな、と。CGアニメってわりと好みでなかったのですが、これはCGの特性をうまく活かした作品でした。…という画面のあれこれもすっ飛んでしまうくらいに最高にエモい設定を背負ったキャラクターたちが織りなす、最高にエモい展開はとかく一見の価値ありですね。

小林さんちのメイドラゴンは、今年は不発だったきらら系4コマの穴を埋めてくれたというか。1クールに1本はこういう作品があってほしいもの。きららといえば、ゆゆ式OVAも今年でしたね。結局、今年買った映像ソフトはゆゆ式OVAだけでした。

最近気づいたのですが、深夜アニメを20本近くも見ていればそりゃあ本を読む時間も足りなくなるよな、と。

 

そんな2017年でした。

2018年に反省は活かされるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

師走です。

前回の更新から早2ヶ月。。。

気付けば師走です。

 

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私は1年でもっともしんどい来年度予算作成→課内予算会議をなんとか乗り切ったところです。

来週には部内予算会議、年明けにはさらに上の会議などが控えているわけですが、まあひとまずヤマ場は越えたかな、と。

 

年内の残る仕事といば、「カレンダーの人」となって得意先を回っては「すっかり寒くなりましたなあ」「一年あっという間ですなあ」などという没個性なコメントを残すことくらいでしょうか(違う

 

とはいえよくよく考えてみるとこのような言葉を発することができるのも一年を通じてこの時期くらいなものですし、あまりにベタ過ぎて友人や家族に言うには憚られるレベル。このようなふわふわした言葉というのは、知らない仲ではないけれどお互いさほど相手を知ってるわけでもないという、まさに取引先の人みたいなふわふわした関係性にこそちょうどよいのであって、気兼ねなくこのような「いかにもなセリフ」を言える営業という仕事は現代の風流人とで呼ぶべきなのでは(やはりたぶん違う

 

それはさておき、仕事のヤマ場をとりあえず越えた私は会議後そそくさとサンダーバード(今回も安定の湖西線で強風のため速度を落として運転)に乗り込み、金沢で北陸新幹線に乗り換えて席に着いたか着かないうちに富山の実家へ。週末に従兄弟の結婚式があるのです。

風呂に入ろうとして、貸し与えられたバスタオルはあの懐かしの2000年あいの風富山国体の時丸が描かれたものでした。いまみると相当シュール。

↓ 参考画像

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ところで、12/29に夙川にある子ども向けのプレイスペース?であるところのおもちゃひろばさんの年忘れボードゲームイベントにお呼ばれしました。ボードゲームの輪をゆるゆる広められれば、と思っております。

<冬休み特別イベント(12・29)> 年忘れボードゲーム・カフェ... - おもちゃひろば ~Toys' Campus~ | Facebook

 

 それではよいお年を(年内に再更新はあるのだろうか

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』考

カズオ・イシグロノーベル文学賞を受賞しましたね。初めて自分が読んだことのある作家が受賞したような気がします。

カズオ・イシグロは『わたしを離さないで』くらいしか読んでいないのですが、大学生の頃に書いたレビューというか考察というか文章があったのでこちらにて再掲。

当時のわたしの若さと勢いのある文体とともにお楽しみください。

 


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カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』土屋政雄訳、早川書房、2006年(原題 Never Let Me Go 2005年)

日系英国人文学者カズオ・イシグロによる小説。昨年、イギリスで映画化され、今年の3月に日本でも公開されるそうな。クローン人間による臓器提供が制度化されているというなんとも未来的・SF的設定があるが、著者は冒頭、すなわち主人公キャシーが過去の回想を始める時点での時代設定を1990年代末としていることには留意しておきたい。そして、今さらっと本作における重大な設定を”ネタバレ”したわけだが、これは私が本作はあくまでも「文学」として読まれるべきであって、そこらの隠蔽された”真実”が解き明かされる過程を楽しむミステリー小説の類として読まれるべきではないと考えるからである。カズオ・イシグロもインタビューの中で

  この小説は最初から読者が結末を知っているかどうかは、重要ではないと恩います。(中略)サスペンス性がそれほど大きな間題になることがわかっていたら、もっと最初の方で事実の部分を明かしていたかもしれません。そうすると読者は他の面やテーマにもっと留意することができたかもしれません。
(「カズオ・イシグロ/Kazuo Ishiguro 『わたしを離さないで』 そして村上春樹のこと 」国際フリージャーナリスト大野和基のBehind the Secret Reportsより)

と述べているかことからもそのことは明らかである。ネットのレビューなどを見ていると「キャシーたちの運命を知ることは作品の魅力を減ぜしめる」という認識が支配的であるが、私は彼女たちが臓器提供のために生み出されたクローン人間であることを知った上で読んだ方が遥かに深い読みができ、また、それは著者の本意にも適っているので臆さずに”ネタバレ”をした次第である。

それでは、考察に入りたい。
主人公キャシーらは先述の通り、臓器提供のためだけに生み出されたクローン人間である。彼らは専門の施設で育てられるが、キャシーらが育つヘールシャムもその施設の1つである。ただ、このヘールシャムは他の施設と異なり、創造性を極端に重んじた教育がなされている。また、ここでは、詳細であるが淡々とした性教育がなされるが、彼らクローンは性交渉は可能であるが子供を産むことができないのだという。このことは彼らがクローン人間、すなわち彼らが人工的に、男女の性愛なしに生み出された存在であるということを反映していると思われる。キャシーが自身の性の衝動に悩まされるなど作品を通して性というものがかなりクローズアップされていることも同様であろう。そして、このことは、クローン人間の間で流布しているという噂が「深く愛し合った男女は臓器提供を3年間猶予される」という神話の構造を取ることに集約される。

この神話をめぐっては物語の終盤でキャシーが全編を通じて特別な絆が描かれるトミーとともにヘールシャムゆかりの人間を訪ねている。トミーはヘールシャムでの異様とも言える創作活動の奨励、創造性への称賛はこの男女の愛の深さを証明するためのものであると考えていたが、提供猶予は単なる噂に過ぎず、ヘールシャムの創造性教育も外部に対してクローン人間の待遇改善を主張していた施設関係者がクローン人間にも教育によって創造性という人間性が宿るということを示すための手段であったことが明かされる。
その事実に落胆するトミーに施設関係者は「自分たちがチェスの駒と同じだと思っているだろう、でも…」(p.319)と慰めの言葉をかける。ここで「チェス」という言葉が使われているが、この「チェス」はそれまでに2度出てきている。それは、いずれもキャシーとその親友であり、かつてはトミーの恋人でもあったルースとのやり取りである。
1度目(pp.66-7)は幼少期にルースにキャシーがチェスのルールを教わろうとして、実は知ったかぶっていただけというルースの虚飾を見抜くも、それに付き合おうとするシーンであり、2度目(p.149)はヘールシャムを出た後の共同生活中に、ルースの軽薄な行動を咎めていたキャシーが、迂闊な言葉を吐いたことでルースに反転攻勢に回られる場面で、その心情を「チェスで一手指し、駒から指を離した瞬間に過ちに気づ」いたような感じと表現している。この2場面はともに二人の関係における主導権の賭かかった重大局面で登場するのであり、虚栄心であったり、他者の痛みに配慮する心、人間関係における駆け引きで相手を打倒せんとする欲などよくも悪くも極めて人間的と考えられる心情が発露される。つまり、「チェス」において人間性が表象されていたのであるが、施設関係者が「チェスの駒」と述べ、チェスの打ち手というメタな視点から捉えられることで彼らはそのような感情が欠落し、人間性を有さない単なる有機物、提供可能な臓器を有する資源へと成り下がる。クローン人間たちの”神話”は自分たちが生まれつき疎外されている、正当な生命の起源である男女の性愛を自らの手によって取り返す、確立させることによって、クローン人間たちに用意された臓器提供という宿命、エデンの園を新たなアダムとイブとして離脱し、真に人間となることが予期されているといえよう。とはいえ、キャシーとトミーによる試みは彼らの育ての親から根本否定され、加えて彼らに手を差し伸べていた施設関係者自身も大航海時代の宣教師が”現先住民”が信仰と教育によって”人間”らしくなりうると考えたように彼らを人間とは一線を画す存在として捉えていることが明らかとなる。ここにおいて神話が完全に破壊されることによって、クローン人間自身が帯びていると考えていた人間性というものはルースの虚栄心同様、まったくの虚飾であると判決が下されるのである。

そして、施設関係者が彼女らなりのヒューマニズムに基づきながらも、宣教師よろしく”先住民”を人間とは区別し、一線を超えることができなかったように、クローン人間たちにも臓器提供という宿命に対し、それに猶予を願い出ることはあっても根本的にそこから逃れたり、ましてやその宿命を打倒せんとする気概が全くないのである。そのことは太平洋戦争における特攻隊員と同じで、思想教育や社会情勢の影響としてやむをえないと言ってしまえばそれまでだが、正当な異議申し立ての機会を自ら閉ざしているのである。つまり、感情や言動なりを整えて人間らしく振舞ってみせても、所詮は人間たりえないということであり、人間たりうるには、臓器提供という予め決定された未来に真っ向から立ち向かってみせる姿勢、すなわち、反逆不可能に思われる因果律にも立ち向かってみせることを可能とするような自由意志こそが人間性の根拠だということを示唆しているのではないだろうか。

キャシーらクローン人間は「提供の猶予」という小さな物語に満足し、彼らをその起源から規定・抑圧するような宿命、大きな物語に立ち向かう気概はおろかそのことへの不満・疑念すら抱くことはついぞなかった。だからこそ、生まれた時から死ぬまで人間ではないものとして扱われ、終始人間性から疎外されているのである。

このような状況はクローン人間であるキャシーらの身の上に生じているだけではないだろう。よくある批判ではあるが、心理学主義化された社会においてあらゆる問題を精神や心に還元し、個人に押し込めてしまうことで社会構造、社会全体としての問題が看過され、個人の責任のみが問われてしまっている。少し前に流行り、今では定着した感のある”癒し”ではあるが、与えられるがままのヒーリングアイテムやパワースポットという小さな物語に刹那的に充足させられ(一時的な猶予を与えられ)、日常的には社会や権力に抑圧/搾取され続けるような現代人の在り方と私にはダブって見える。

われわれは今こそ社会に対して、権力に対して正当な異議申し立てを行うべきではないだろうか。
そんなことをこのような”文学”から考えるのはやり過ぎというものだろうか…

文フリ大阪に出展してきた。

すっかりご無沙汰してます。

前回の更新からかれこれ3ヶ月空いてしまいました。

 

つい先日、9/18に開催された第五回文学フリーマーケット大阪(通称:文フリ大阪)に出展してきました。

仕事、育児、同人誌執筆に追われ、心身ともにしんどい期間が続きましたが、それを吹き飛ばすような達成感、とまではいかずとも手応えを感じられました。

 

ちなみに、文フリ大阪では、当初の予定では「中津ぱぶり家」の同人誌と「たほいや問題集」の2本立てで臨む予定でしたが、計画の甘さから「たほいや問題集」のみ、それも当日印刷のコピー本というギリギリの仕上がりでした。

 

たほいや問題集は、”たほいや”という広辞苑を使ったアナログゲームの問題集。

ちはにみにたほいやとは、広辞苑に掲載された見ず知らずの言葉の意味を新たに作成。即興の意味の中から真の意味を読み当てる遊び。詳細はwiki等参照。

たほいや - Wikipedia

 

で、実は僕はこのたほいやの定例会を開催しておりまして、そこで実際に出題された問題を問題集としてまとめつつ、解説やらなんやらを書き添えたものです。

 

文フリ会場のブースの机上に広辞苑を置き、「広辞苑読んだことありますか?」といつもの胡散臭い感じ声をかけまくってました。文フリ来場者だけあって、こういう言葉遊び系には比較的感度高い人が多く、反応も上々。

当日まで出せるかどうかもわからなかったのでまともに告知すらしておらず、見栄えも決してよくはない作品でしたが、なんだかんだで10部ほど売れました。

 

会場では、知人の高齢男性になぜか遭遇したのですが、彼から「たほいや問題集には名前はないのか?」と聞かれ、限られた時間の中で特に気の利いたのも思いつかなかったのでその旨回答したところ、「だったらわしがいいの考えついた。大誤解いうのはどうやろ」みたいなこと言い残し去っていきました。結局、彼は同人誌は買ってくれませんでしたが、このアイデアはいいので早速取り入れていきたいと思いました。

 

今回の文フリではパイロット版として次回からは「大誤解ーたほいや問題集ー第一版」などとして出していければな、と。

 

今回はほんとうに慌ただしさのあまり印刷上の致命的ミスもあったりしたので、どこかでしっかり告知をした上で雪辱を果たしたいな、と。

 

それと、会場をいろいろ見て回って思いましたが、ぱぶり家同人誌自体は結果的に出せなくて正解だったのかな、と。たほいやはまだ普遍性のあるコンテンツとしてのポテンシャルがありますが、ぱぶり家のあれこれでは見ず知らずの人の気を惹くにはなかなか苦労しそうです。

 

まあようやく遅めの夏休みの宿題の提出も終わったところですので、いったん羽を伸ばしたいところ。