ぷらすちっくな言語SPEIL -人文学、ボードゲーム、合成樹脂-

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませるさらりーまん。ボードゲームとSFを好みます。

立ちすくむは国家か。不安なのは誰か。 ―経産省若手作成資料「不安な個人、立ちすくむ国家」とそこに言及されないものから

経産省の「次官・若手プロジェクト」なる集まりが作成・公開した資料がSNSでいろいろ話題になっていた。

当の資料はこちら。

不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

 

SNSにおける反応の一例はこちら。

togetter.com

 

読むだけでなかなかにイライラできるツッコミどころの多い内容となっております。

細かいところを指摘しだすとキリがないので割愛しますが、いろいろ残念な点がつきません。もうちょっと論理的にというかストーリーが流れるように資料をつくることができなかったのか。これが日本経済を主導する立場の人かと思うと景気低迷もお察しな感じしかないですね。。

 

さて、まずはこの資料で評価できるところを先に挙げましょう。

1つは(本音はともかく)「政府は個人の自由な選択を支えるべき存在」というある意味当たり前のことを明確に書いていることですね。インターネット等に住まうというネトウヨなる人々(や一部の政治家)は「個人は政府のためにある」などと本気で信じているようですが、しばしばパターナリズムやエリート主義の権化と揶揄される官僚の皆様もそれを直接的に言明してはいけないという良識は備えているようです(しかしながら、この資料の行間からは「大衆(愚民)はわれわれによって導かれ、管理されるのが幸福である」という本音/信念を隠しきれていないようですが…)。

 

もう1つは、日本における母子家庭の貧困や貧困の連鎖を定量的にわかりやすく示しているところ。以上2点です。

 

しかしまあこの後に、日本は各国との比較で政府の高齢者向け支出(正確には年金、介護)が現役世代向け支出(家族、住宅等)に比べて突出して低いと指摘している。政府支出の各項目に対する金額は厳然とした事実なのだけれど、この項の前では、散々「高齢者は労働力があるにもかかわらず、働きもせず家でテレビみるばかり。そして、医療費を浪費している」と高齢者に対するヘイトを高めるような煽りがこれでもかと陳列される。

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貧困の連鎖というのが社会の重大課題であることは官僚たちに指摘されずとも、誰しもが認めるところであるだろうけれど、それは主に富の再分配の問題であり、そして、それは現役世代と高齢世代という世代間格差(がまったくないとは言えないけれど)の問題というよりも、明らかに貧困層と富裕層という経済格差の問題でしょう。

この資料では、政府の社会保障費用が有限であるかのようにして、高齢者と現役世代におけるパイの奪い合いであるかのように読者にミスリードさせることを意図的にやっている。こういうところが悪質。

そこは、経産省の官僚サマならば、そこは産業振興なりイノベーションなりで経済成長を成し遂げて財源確保するとか言ったらどうなんでしょう。

 

そう、この資料においては、経産省の若手官僚による資料でありながら経済成長を目指すという方向性の議論がないのである。それこそ、”本業”について迂闊に言及しようものなら仮にも経産省と銘打っている以上、それが経産省オフィシャルの見解と取られかねない…などと日和っているのかも。

(それはそうと、この資料では他省庁、特に厚労省管轄の領域についてばんばん物申しちゃってるわけですが、官僚界では若手の自主勉強会などと銘打ても、他部署の島を訳知り顔で荒らし回っても、偉い人のお怒りを買ったりしないものなのでしょうか。だとすれば、官僚機構を再評価したいところです。)

 

そもそも、僕なんかからすれば「経済成長」モデルについては先進国、こと人口が減少に転じている日本においてはとうに破綻しているように思えますが、この資料における

「経済成長」の不在というのは、経産省の若手たちもこの経済成長モデルを最早信じていない、少なくとも現実的でない、あるいは経済成長モデルにはそれを用いてあり得べき社会設計を行うのが困難であると消極的に認めてしまっているということを意味しているのではないでしょうか。だったら経済成長路線からのドロップアウト、経済大国の看板を下ろしちゃえばいいんじゃないでしょうか…

 

もう1つ。

 インターネット/ソーシャルメディアの普及が社会全体の意思決定にも変化している、との文脈で以下のようなスライドが。

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これに続いてくるが、

インターネットは個人の選択を支えるものだが、

 個人の判断や行動が誰かに操作されるリスクも当然に内包する。

 

上記の記述については、大変ごもっともな話かと思いますが、このあとに政府による何らかの介入・統制の必要性を仄めかす文言が続くわけです。

つまり、”自分たちではない誰か”が大衆を特定の方向へ意思決定を誘導することは扇動であり、明確に”悪”なのだけれども、”自分たち(官僚・政府)”が同様に大衆を誘導する(それこそまさにこの資料でやっていることなのだけれど)ことは、「民を正しく導く」こととして肯定される。なんと前時代的な世界観であろうか。

一個人からすれば、特定の団体であろうが、個人であろうが、はたまた政府であろうが、社会的意思決定に政策提言等の形で介入を試みるのであれば、等しくその内容の是非や優劣でのみ判断されるべきであり、それが政府発信であることが、なんら正当性や妥当性を付与するものではないでしょう。そのような反論を予め想定して、政府や官僚による提言、誘導の正当性を補強する何らかのロジックを導入しておいて然るべきところなのですが、それがこの資料にはまったくない。ということは、この人たちは本気で上記の前時代的世界観を生きているのだろうか。これには戦慄を禁じえない。

 

とは言いつつも、ある意味、官僚というのはそういうものだという諦念のようなものはすでにある。というのも、戦後や高度成長期ならいざしらず、現代においては、事務処理能力に優れた若者の労働環境として、官僚よりも待遇がよかったり、社会的名声を得られるような選択肢と言うのは無数にあるわけで(そういう意味でもいい時代になったものですね)。そんな状況であえて官僚を目指す若者というのは、「俺こそが日本という国家を支えるのだ」とか「大衆(愚民)を導くのだ」的なメンタリティをもった若者くらいの他には官僚以外の選択肢を見出すには視野狭窄な者くらいしかいないんじゃないでしょうか。

 

最後に。重複しますが、この資料の根本的な矛盾としては、「万人が万人に共有できる目指すべきモデルが無効化してしまっている」という”卓見”を資料中で度々ご披露されながらも、結局はこの資料に貫かれているのは「われわれが民を導くのである」という姿勢であり、それは自ら困難と断じたばかりのものを愚かしくも繰り返そうとしているだけではないだろうか。

 

これらの迷走っぷりから推し量れるものというのは、結局この資料のタイトルに立ち返るのだけれど、国家が立ちすくんでいるのは、その中の官僚であるところの自分たちであろう。そして、不安を抱えた個人というのは、実務として「経済成長」モデルの不非現実性を理性的に理解しながらも、それを感情的には認められない、そのような苦悩を抱える経産省の若手官僚に他ならないのではなかろうか。

 

しかし、まあ資料の一番最後のスライドなどはイキりオタクも真っ青のイキりっぷりではなかろうか。まあ最早こういうのに共感を覚えるような人しか官僚にならないの時代が来ているのだろうけれど。

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