急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?と思った話。

 

ツイッター佐々木俊尚の挑発的なエントリがあった。思わず読んだ。

bunshun.jp

佐々木俊尚についてはともかく、この記事についてはおそろしくセンスないな、と。

寧ろ各種の詭弁に満ちた全くもって危うい記事ですね。佐々木俊尚ってもうちょっと理性的な人物だな、と思っていたのですが…

 

具体的に。

彼は上野千鶴子細川護煕を引いて、”脱成長派”をあげつらっております。

この人たちが”脱成長派”の代表的な論客かどうかには異論を差し挟む余地は大いにあるかと思いますが、現代日本においてそれなりの発言力をもった人物であることには代わりないでしょう。

 

上野千鶴子の「みんな平等に、緩やかに貧しく」とか細川護煕の「欲張りな資本主義ではなく、心豊かな成熟社会に転換」などの主張は正直、それこそ左派の中でもそれほど受け入れられないというか、センスのいい主張として支持を集めるものではないでしょう。

それをあえて左派代表のように取り上げてボロカスこき下ろすというやり方はストローマン論法以外の何物でもないでしょう。さらに、そこに自らの知人という循環型社会の実践者を取り上げてみせて、あたかも左派全体がそのような生活の礼賛者であるかのように誘導してみせる、というのは悪質以外の何者でもないでしょう。

 

さらにもっとも致命的であるのは、佐々木俊尚自身は、彼の言う上野千鶴子細川護煕による「能天気な」主張というのは、彼の言葉で言う「社会のシステムを考える時に公私を混同」して語ってしまっている、と主張しているわけです。

 

しかしながら、彼が「経済成長を目指す必要ない」と言う主張を批判するときに提出している論拠というのは、彼自身の著作からの引用なのであるから、ある意味、彼の中での循環論法なのである。

根本的なところでは、相対的貧困率の上昇、具体的にはシングルマザーや中高年ひきこもり、非正規雇用者を上げ、「現状がただでさえこうなのだから、(経済成長しないことにはこれらの人々は救われようがない)」という主張をしている。

しかしながら、こういう主張というのは僕からすれば自明ではなくて、寧ろ、経済成長を志向した社会であるからこそこのような相対的貧困の苛烈化が起きていると言えなくもないわけですし、経済成長すればこのような問題が解決できる的な思考はトリクルダウン理論的な水モノ以外の何物でもないと思うんですがこれは…

まあこの辺の議論については多様な立場からの異論・批判があって然るべき内容かと思いますし、現代社会における理性ある知識人たろうとすれば、そのような批判を意識してものを語るべきではないのでしょうか。

それを「たわごとと言われてもしかたないだろう」などと一笑に付すようなパファーマンスはして強がってみせているものの、このような姿勢というのは理性的な反論が困難であることの表明であるとも言えるわけで。

とにかく、彼の立場を自明ではない立場の人も射程範囲内に収めるような議論もできていないのに、上野千鶴子細川護煕らを公私混同という名目で切って捨てるというのは、

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って感じですね。