急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

きかんしゃトーマスの話あるいはグローバル資本主義とポリティカルコレクトネス

唐突ですが、みなさん、いまのきかんしゃトーマスは僕らの知ってるきかんしゃトーマスじゃないって知ってますか?

 

こんな感じ。

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 NHK公式より

https://www6.nhk.or.jp/anime/program/detail.html?i=thomas

 

え?なにこのCG?トーマスといえばあの鉄道模型ジオラマでとってるやつじゃないの?

そして、トーマスはともかくその両隣の機関車たちはなに?

 

って思いましたよね。

そう、僕が知っているきかんしゃトーマスというのは森本レオの朴訥とした語りとともに風車が回るのどかな田園風景をバックに軽やかなBGMに乗って走るトーマス…

 

 それがいまやフルCG、それもなんかやたらとカラフルな輩を引き連れて尋常ではない勢いで飛び出してくる…そしてナレーションもジョン・カビラだし…ムムッ

 

となんか抵抗感を覚えていましたが、トーマスにドハマりしている子供にせがまれるままにトーマスの絵本を読んだり、アニメを見たりしているうちにいろいろと世界観への理解を深めていき、おそらく今人生でいちばんトーマスに関心があり、そしてトーマスとその仲間たちのことを好きになっています。

 

さて、ここでわざわざこんな記事を書いている理由にもつながる話なんですが、最近のトーマスは新キャラが多い!この新キャラの多さには2つの方向性があってまとめると、

 

1.世界のさまざまな国の機関車(一部電車も)

  ※かつてはトーマスはソドー島というイギリス(らしき国の?)の島を舞台にそこから出ることなかったのですが、最近はOP映像中に船に乗って、世界各国で労働して回りながら現地の鉄道車両と交流しています。

2.性別が女性(いわゆる「女の子機関車」)が増えている

  wikiによると男女比=4:3にまでなっているとか

 

トーマスが国連のSDGsとコラボしているので、ポリティカルコレクトネス的な配慮なのかと思ったりもしていましたが、根本にはグローバル資本主義的な動機が色濃く反映さえれているものと理解すべきでしょう。(もちろん、昨今のグローバル資本主義市場で売れるにはポリティカルコレクトネスへの配慮なしにはかなわないわけですが)

 

こんなウェブ記事がでています。

https://www.agara.co.jp/article/56726

日本におけるトーマスの版権をもつ会社の人が身もふたもないこと言ってますが、ゴリゴリに押して日本の機関車を出させたなどとぬかしています。まあきっとこのひともプラレールを売りたいタカラトミーとかのスポンサーにゴリゴリやられてたのかもしれませんが。

そういう背景でうまれた「ヒロ」という機関車は「日本からソドー島にやってきて勇名を馳せるも、故障した部品が本国から届かず放置され忘却される」というなかなか示唆的な設定で登場します。劇中ではトーマスに「発見」され、世界最速の機関車を打ち負かすという悲しいくらいに愛国(笑)的な願望を背負わされています。当時の英国制作スタッフの方々および現地のトーマスファンの方々には見苦しいものをみせてしまったな…と思うのです。まあでもそんなヒロは日本でもかなり人気あるというのですからそれもまた悲しいというか業が深いですね…

 

とまあ多少脱線しましたが、ポリコレ的にどうかなと思う案件があったのでご紹介。

僕がいちばん好きな機関車、エドワードを押し出してレギュラー入りを果たした女の子機関車ニアさん。

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ケニアから来たニアっていささか安直過ぎませんかというところはさておき、このニアさん、他のメインの機関車よりもやや若い目に描かれます(新入り、後輩ポジションの宿命でしょうが)。とはいえ、基本的に仕事はわりとできる子です。人の言うことを聞かなかったり、失敗から学ばなかったり、すぐに他人を煽ったりしてばかり(機関車たちの煽りスキルの高さ、それでいて煽り耐性の高さはある意味とても教育的ですね)する人格破綻者が多い中でかなり優秀にみえます。

が、しかし、こないだNHKで放送されていたエピソードでけっこうやばい話がありました。仕事はちゃんとできる「役に立つ機関車」なニアなわけですが、ある時ミスをしてしまう。

※ちなみに、トーマスの世界ではこの「役に立つ機関車であること」が至上命題として描かれます。いやーさすが、プラグマティズムの源流というべき経験主義の国、イギリス!(ちょっと強引ですね)

 

そのミスをしてしまう理由というのが「実はニアは数字が読めなかった」から、というもの。そのエピソード中で数字の読み方を覚えていい感じでまとまるのですが、ポリコレ的観点に立てば、作劇上、教育的な狙いで数字を読めないキャラが必要だとしても、その属性をアフリカ出身の、それも若い女性に負わせる、というのはなんともセンスないよなということになりますよね・・・

日本のキッズコンテンツ(アニメ・特撮)もなかなかひどい倫理観を平然と表出・露呈させるので見るのがなかなかしんどいですが、ポリコレ本国のアメリカ(現在のトーマスの版権は米マテル社)でもうわーって感じですね。。。

 

また気が向いた時にサイコパスだらけのきかんしゃトーマス世界で一服の清涼剤というべき老紳士エドワードの魅力とあまりに悲しすぎるそのレギュラー落ちエピソード(厄介払い)について語りたいと思います。まあこの不憫さが彼の魅力を引き立てるというか判官びいき的な感情を呼び起こすのでしょうが。