急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

GWに突入しました。

本日の業務を終えてGWに突入しました。

 

1)オンライン

オンラインでいろいろやる機会が増えました。

オンラインボードゲーム、オンライン飲み会、オンライン哲学対話、オンラインたほいや

 

これまで子供が小さいうちはどうしても遊びの予定が入れられなかったので、そんな中で子供の就寝後とかにゆったり友人・知人と雑談しながらあれこれというのはやはりよいものだなと。

昨夜ZOOMで雑談していた時に参加者の一人が「オンラインで読書会とかする機会が増えたけれど、基本的に面識のない人とやるわけではない。オフラインでの活動で築いてきた人脈なりがあってこそ今があるんだな(大意)」ということを言っていたわけですが、しみじみ共感する次第。

ある意味今はオフラインでのつながりをオンラインで再現しているような形ですが、オンラインだけでのつながりというのがここから広がっていったりするものでしょうか。

僕も、かつて大学生の頃はmixi全盛期でわりと趣味の合う人たちとつながってオフ会的なこともやったりしていましたが…

 

2)暇

転職してからは以前と打って変わって基本的に残業がない生活をしていましたが、ここにきて通勤時間もなくなって端的に言って可処分時間が増えました。

 

しみじみ思いますが、人間、暇というか冗長性というのは大事ですね。色んな意味で。

最近読み返したSFの一節でこういうのがあります。

 

 

 「おまえはいつもそうだ。余計な冒険をして転ぶ」

 ぼくは負け惜しみを言った。「そのかわり、豊かな世界を生きてるんです」

 ーーー宮内悠介「スペース金融道」『スペース金融道』

    

 

この”負け惜しみ”と断っているところがまたいいわけですが、これまで自分で言うのもなんですが堅実な生き方をしている僕ですが、なぜそういう選択をとってきたのかという当初の目的を忘れ、手段が目的化してしまっていたのではないかなと反省。積極的に損を被る必要はないけれど、”余計な冒険”を楽しめる自分でありたいものです。

 

 

ということとはあまり関係ないですが最近、朝走っています。1週間連続で走るのは大阪転勤になって直後の2013年以来という快挙ではないでしょうか。

 

現状で無理なく続けられる強度というところでキロ6分で4km走ってラストに軽く流しを入れるくらい。もはや現役を退いて10年経っているわけで時の流れを感じずにはいられませんが、それもまた一興?と自らの衰え、惰弱化に真摯に向き合う日々です。

でも、軽く走ってから子供と朝ごはん食べて仕事するっていう暮らしはある種の理想的なものであって、実現不可能と思っていたものがこのような形で実現するというのはなんとも皮肉なものだと思っています。

 

暇ということでもう一つ。2月くらいからボードゲームを自分でもつくってみたいなと思っていたのですが、ちょっとしたきっかけと時間的猶予のおかげでひとつ腰をすえて取り組んでみようかと思っています。しかしまあ自分で何もかも自由に設定していい状況というのはなかなか不慣れで自分がこれまでに規定された環境で働いてきたのか、生きてきたのかということを驚きとともに再発見しています。