走り始めたけど止まった話
4月下旬頃から朝のジョグをはじめました。
かつては競技者として走ってた僕ですがそれももはや10年以上も前のこと。特に体重の増加が。
会社勤めを始めてから3年目くらいまでは習慣的に朝走るってのをわりとやってたんですが、その後は断続。ときどき思い立って走るも継続できず。。
そんな経緯もふまえ、まずはキロ7分近くかかりながら4kmくらい走るところからスタート。
続けることを重視してペースは無理にあげない。そして距離も無理に伸ばさない。
その甲斐あって昔痛めた箇所(有痛性外脛骨)をだましだまししながらもなんだかんだでジョグの習慣化に成功。
徐々に身体も馴染んできたのか、キロ6分くらいでスタートして徐々にビルドアップしてキロ5分半で5~6kmくらい走るというところまで戻ってきていた。
そして走り始めて3週間ちょっとというところである時、かなり調子がよい時にぐいぐいビルドアップしてキロ5分切るラップまで刻んで6km走れた。その日は現役時代とはほど遠いものの、着実に走りが戻ってきていることに手応えを感じていたが…
その翌日。走り始めて1kmでふくらはぎの下部に強い痛み。
一旦止まってもみほぐしてからリスタートを試みるもどうにもこうにもな状況。
その後、医者で「肉離れでしょう」とさくっと言われてサポーターと湿布を与えられて今に至る。
もう現役の頃とは違うというのは理解していたのですが、ちょっと調子が出てくるとやっぱ勘違いしちゃうんですね。。。
せっかく体重も3kgくらい落ちていたんですが。。
とりあえず、今は体幹だけ続けています。散歩もちょっとしんどい状況です。
改善すること、向上することっていうのは走ることそれ以上に「快」なわけですよね。日々良くなる、それを実感できるってのはとても嬉しい、気持ちがいい。その魔力に囚われてついつい上を求めてしまう。陸上競技とかお勉強、特に受験勉強というのはそういうものと親和性がいいというか、そこを原動力としている。ある程度、わりといいところまではそういうもので進めてしまえる。
だからそういうものと距離を取りたかったんだよなということを一連の中で再認識しました。この向上主義?の甘い蜜を知ればそこから逃れ難い。そもそもそれを捨てさってしまったところに価値ある生みたいなものはあるのかとも思える。
とはいえ、僕はそういう直線的な向上を個人に強いる、個をそこにとらまえて利用するようなシステムに抗いたかったはずなんだが。。
それはさておき、
得られた教訓
・昔とった杵柄は危険
・そう自覚していても、人はすぐ調子乗って自惚れる
・体幹だけでも続けるべし