急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

『経済政策で人は死ぬか?ー公衆衛生学から見た不況対策』

デイヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか?ー公衆衛生学から見た不況対策』を読んだ。

このコロナ禍でこそ読む本ってことでTwitterでみかけて手にとってみた。

https://honto.jp/netstore/pd-book_26379328.html


f:id:meirin213:20200804011302j:image

2013年に原著が出版され、2014年に邦訳がでています。

大恐慌時のアメリカにおける各州やソ連崩壊後の旧ソ連諸国、東アジア通貨危機時のアジア諸国といった経済史に残る大不況時に緊縮財政をとった州や国と積極的に公衆衛生・社会福祉政策を充実させた州や国で統計データを比較。

 

そこから導き出されるのは、以下のようなこと。

・大不況は必ずしも住民の死亡率や自殺率、感染症の拡大などに直結しない。

・むしろ、それを分かつのはその際の政府の経済政策である。

・公衆衛生予算の削減や、失業者支援やホームレス支援も含めた社会福祉支出の削減といった緊縮財政が住民/国民にもたらす影響は経済回復のための「痛み」として無視できるようなレベルではない深刻な影響を及ぼしうる。

・また、緊縮財政では経済の回復を早めることにはならず、むしろ社会福祉を厚くするよりも不況を長期化させる傾向にある。

・緊縮財政による医療補助の削減は人々の予防治療への出資を抑制するため、かえって症状が重篤化し、結果的に自治体の医療費負担は増える傾向。

・政府の支出1ドルに対し、国民の収入が何ドル増えるかを表す「政府支出乗数」を政策別に見ると、防衛関連や銀行救済は1を下回るのに対し、保健医療や教育は極めて高い数値を示す。

 

といったことが比較的新しい事例としてリーマン・ショック後のアイスランド社会福祉策)やギリシャ(緊縮財政)の財政破綻危機の対応やオバマ政権下のアメリカ(社会福祉拡充)とキャメロン政権下のイギリス(緊縮財政)の劇的とも言える対象が示される。

公衆衛生という観点だけでなく、経済政策としての観点でも統計データで慎重に議論されているが、事例が多いため、率直に言ってこれまで経済学にほとんど触れてこなかった僕みたいな人間にもとても読みやすい。

これまでなんとなく危ういと感じていた緊縮財政がデータの裏付けをもって明確に否定されることに新鮮な驚きをもって感動していた。

その鮮烈な感覚、得難い読書の喜びを興奮気味に報告すると、経済学部出身の妻から「そんなことは経済学の基本中の基本。何をいまさら」と一蹴された。

そんなことも知らなかった無知な自分を恥じつつも、そこから新たな疑問が生まれる。

 

すなわち、経済学の初歩の初歩とも言うべき知見がなぜ実際の政策に反映されないのか。各国の政治家や官僚、そしてIMFはなぜかくも不合理な緊縮財政を推し進めるのか。

この本では小さな政府的イデオロギーが主要因の一つと言及されているけれど、やはり僕には政権なりなんなりがは悲しいことに大資本、金融資本の論理に支配されているからにほかならないと感じる。特にこのコロナ禍の日本、ここ何年かの大阪の維新政治下とそれがもたらしたものを噛みしめるほどにそう感じずにはいられない。

 

このコロナ禍がまたこのような研究者たちにかっこうの「自然実験」の場を提供していることだろうし、日本はその悪例として名を残すことになってしまうだろう。

 

最後に、この本における主張は明確。

 

民主的選択は裏付けに基づいて選択・決定されるべきで、中でも国民の生死にかかわるような決定はイデオロギーではなく、データに基づいて決定されるべきだ。

コロナ禍において、自公政権や東京都、大阪府はなにかしら根拠をもって政策決定をしているといえるだろうか。Go To キャンペーンやアベノマスク再配布、大阪モデルだとかがなんらかの経済合理性なり疫学的根拠があるだろうか。

日本が一日も早くまっとうな民主的選択のできる政体へ回帰することを願う。