急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

ゼーガペインの倫理性 自由主義>>功利主義的世界の所以

唐突だが、みなさんはゼーガペインを知っているだろうか?

2006年に放送された量子力学をモチーフとした本格ハードSF設定が光るロボットアニメで僕の中でも五指には入る名作だと思っている。ロボットはもう少しスマートなほうが好みだけれども、それを補ってあまりある作品の魅力がある。

8/31はゼーガペイン劇中における重要な日。9/1に日付をまたいだと同時に公式から以下の発表が。

 

前作の『エンタングル:ガール』についてはカミナギが主人公で劇中の設定を保管するような丁寧なつくりにはファンとしては大変うれしかったんですが、正直なところ「高島雄哉×ゼーガペイン」ならもっと書けるでしょ!という煮えきれないところもあったので新作が出るなら期待せざるをえない…


f:id:meirin213:20200906010642j:image

ときにふと思ったんですが、ゼーガペインの世界というのはフィクションの中でも極めてリベラルな価値観が強く支えている。

エンタングルガールで明かされることには、舞浜南高校の理科教師クラゲこと倉重はかつては研究者として量子サーバーの開発にも携わっていたセレブラントだったという。それが、長きにわたる戦いで擦り切れてしまい、自らの意志で記憶を消して一般の幻体に戻ったという。また、セレブラムのセレブラント勧誘のアプローチもわりと婉曲的な手法ばかり(ペインオブゼーガなるxbox(⁉)っぽいハードのシューティングゲームや先の倉重の明らかに高校のレベルを逸脱した物理というか量子力学の授業とか)で。量子サーバーなりできる科学力があれば幻体を強制的にセレブラントに覚醒させることもできたのでは、と。

とくにゼーガペイン劇中において人類が置かれている状況はまさしく人類存亡の危機であり、敵対勢力であるガルズオルムに対して形勢はあまりに不利。

功利主義的な観点に立てば、個人の意志どうこうよりも人類の存亡のほうが優先されるとして、強制的にセレブラントに覚醒させたり、セレブラントが自らの意志で戦線離脱するなど論外などという国家総動員体制とまでいかずとも総力戦的状況が倫理的に正しい姿されるだろう。

しかしながら、倉重のようなリタイアが許容されたりしていることからセレブラムは徹底した個人の意志を尊重する自由主義が圧倒的に強い体制というか構成員であるセレブラントの倫理的規範でメジャーなものとなっている。

もちろん、セレブラントは個人の自発性がその能力に多分に影響する、ということや超長期的な視点に立っての組織的なモチベーション管理上などの合理的理由があるのかもしれないが、フィクション、とくにロボットアニメにおいてこのような自由主義的価値観が登場人物の中で広く共有される、功利主義よりも優先されることが当然のように是とされる世界観というのは極めて珍しいのでは。

*ロボットアニメといえば、たいてい主人公は成り行きだったり無理やりロボットに乗せられて戦わされたりしてますし。

 

こういう話を考えてみて思い出すのは、稲葉振一郎の『宇宙倫理学』。

ここでは地球外文明探索がどのような形で実現するのかを考えていくと、そのあまりの長旅に耐えられるのは、生身の人間ではありえず、いいとこサイボーグ、おそらくアンドロイドないしロボットであろう、と。しかしながら、地球外文明に地球文明を代表してコンタクトできるような存在というのはもはや人類とみなしても申し分ない”知性”を備えているといえるわけで。となれば、それはアンドロイドだろうがロボットだろうがそれはもはや”人類”とみなすべきであろう、と。となれば、地球外文明探索のためだけにロボットを開発することは倫理的に認められず、ロボットが当たり前に”人類”として暮らしている世界で、その「過酷」な任務に自発的に志願する危篤な”人物”(ロボット)によってでしか担うことができないとなる。

ある意味当たり前の推論・立論ではあるけれど、ゼーガペインにおけるセレブラントもこのようなリベラルを価値観の基底に強固に据えた人々の集団であり、なんなら覚醒の条件にそのような価値観を有することも関係しているのかもしれない。

 

何が言いたいかと言うと、ゼーガペインというのは自称「ゼロ年代最高の本格SFアニメ」と銘打たれているわけですが、その名に恥じない高い倫理性も兼ね揃えていると言えるのかも知れない。まあシズノやシマはキョウに意図的に真実を告げずにいたりするわけですがそれは別な問題ですかね(まあこれは彼らの実質的無限の寿命をもつという前提に立てば、頭ごなしに正しさを押し付けるよりも本人に気づかせるほうが望ましいという考えに立っていたと考えれば自由主義的価値観とも矛盾しない)。

 

なんやかやゼーガペインを見返したくなった今日このごろ。