急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

ビッグイシューとフードロスと「遊び仕事」

今朝、この記事が目を引いた。

www.tokyo-np.co.jp

 

雑誌販売を通じたホームレスの自立支援に取り組んでいる「ビッグイシュー」が、パン屋さんで売れ残った?パンを安値で仕入れて同じくホームレスの人に販売してもらう、という事業に乗り出すのだという。

いわば、1つの事業で貧困とフードロス削減という2つの社会問題・課題の解決を目指すという一挙両得的な試み。

すばらしい。

こういう社会問題・社会課題を解決するような社会起業家が世間には増えていると言われるけれど、実際に僕がその活動とコンタクトとしたことがあるのはビッグイシューくらい。この「パン屋」も東京だけみたいなので当面僕にできることといえば、地道にビッグイシューを買って応援していくことくらいだろうか。

 

それにしても、この貧困問題とフードロスという、どちらも単一の問題としても難題なのだけれど、それを一度に解決を図るというのはなんとも無謀に思う人もいるかもしれない。

 

しかし、少し待ってほしい。

両方を同時に取り組むからこそうまくいく、ということもあるのではないか。

 

ここで思い出したのが学生時代に受けた環境倫理の鬼頭秀一先生の授業。

里山保全の文脈で「遊び仕事」というものを取り上げていた。これは生計を立てるためのいわば本業的な「生業」とは別に、川釣りやキノコ採りのような、たしかに経済的利得も上がるものではあるけれど、それだけの経済性や生産性ということを考えるとわりにあわないような/しかしながら、それに興じることが多大な楽しみをもたらすような活動を言うものである。つまり純粋な経済活動ではなく、趣味性のある経済活動、あるいは純然たる遊びというわけではなく、一定の経済的利得を得ることも目的とする活動でまあ読んで字の如く遊びと仕事の中間ということになる。論者によってはマイナー・サブシステンスとかいうやつだ。

「遊び仕事」はその人の生への充実感をもたらすだけでなく、自然との関わりを実感させるものであり、その「遊び仕事」を継続するために自ずとそれを継続できる環境を整え、維持しようとする努力が自ずと促されると説く。

つまり生産性や経済性という資本主義的価値観のような単一の評価軸では持続可能ではなく、打ち捨てられるようなものでも、複数の価値基準で支えることで持続可能なものとなる。そして、持続可能となることで、その活動を持続可能とする環境を維持する努力が自ずと生じてくる/促されるということ。

 

フードロスに限らず、リサイクルとかリユースの問題というのは産業界でも叫ばれて久しいがなかなか実現しない。プラスチックの世界では単に回収品のコストと品質がバージン品と比べて割りに合わないということに尽きる。フードロス削減が進まないのも大なり小なりそういうことだろうと理解している。

そこにホームレス支援という社会的意義を与えることで新たにエシカルな価値が加わることで、フードロスを単なる「安かろう悪かろう」的な商品から引き上げることができる…ということになろうか。

こういうビジネススキームを構想、実現する仕事というのは相当な苦労はあるだろうけれど、社会的充実感の高いものであるだろうな、と。

翻って自分の仕事ぶりであったり暮らしぶりを反省する…

 

改めて、「遊び仕事」をもちたいものだな、と。