ぷらすちっくな言語SPEIL -人文学、ボードゲーム、合成樹脂-

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませるさらりーまん。ボードゲームとSFを好みます。

中国行ってて気になったこと。

昨日まで中国に5泊6日で行ってきました。そんな中で気になった出来事をば。

 

分断統治

天津に2泊しましたが、天津は回族(少数民族の1つ。イスラム教徒)が多いらしく、天津中心部らしきところに回族タウンとも言うべきエリアがありました。

その辺を歩いていたら、校庭にアスレチックがちょっとした遊園地かというぐらい充実した幼稚園がありました。聞けば、回族専用の幼稚園なんだとか。なかなかに豪華な施設であることが外から見て取れました。

それを見たローカルのスタッフが「外国では中国は少数民族をいじめているというが、本当はこんなふうにすごく優遇している」と言っていました。彼も日本語堪能とはいえ、ネイティブではないためニュアンスを読み取ることにどこまで意味があるかわかりませんが、なにかを揶揄するような調子でした。

僕にはその揶揄が「それにもかかわらず、少数民族たちは厚遇されているのを尻目に権利を主張し過ぎだ」的な大本営発表を真に受ける反応なのか「中国当局少数民族政策はこういうパフォーマティブなことばかりやっている」というような批判的なニュアンスなのかははかりかねました。

 

いずれにしても街中にこんなに金のかかってそうな施設があれば非回族の低所得層としては納得いかないのではないかと。少数民族政策というのは分断統治的な意味合いもあるのだろうな、と思った次第。

 

<産後休暇>

最近産休から復帰したという女性のローカルスタッフと道中で話していたのですが、最近ようやく産後休暇が3ヶ月→6ヶ月に法規制が変わり社内制度も延長されたとか。日本では直近法改正で2年まで延長できるようになったという話をしたら驚かれました。

そもそも並のサラリーマンの給料では、経済的には夫婦共働きでないと成り立たないとも。そうなると、両親と同居して子供の面倒をみてもらう・・・となるようです。昨今の日本の状況もたいがいですが、中国はさらにその上をいく苛烈さ。

それでいて平日昼間にそのへんの屋台というよりはちゃんとしたメシ屋で3世代そろって大きな卓を囲んで和やかに食事しているみたいなご家庭や、街中にどう見ても働いてなそそうだけどそれなりの身なりのおじさんが昼間からふらふらしてたりも見かけてよくわかんねーなと。

 

 

中津ボドゲ会でした。

 

久々の”中津ボードゲーム会”でした。

中津ぱぶり家での開催。

 

<遊ばれたゲーム>

・うんちしたのだあれ?(Who dit it?)

 →「うんちしたのは自分のペットじゃない!」と責任を押し付け合うゲーム。

・Only you 

 →ゲムマ大阪の新作?お題のテーマから、自分とその場のもう一人だけしか知らない知識を当てる。

・ギズモス(Gizmos)

 →ポーションエクスプロージョン的なコンポーネントと宝石の煌き的な拡大再生産系のゲームシステムだけでなく、独自のコンボを決めていく爽快感がたまらない一粒で三度も美味しい個人的にいまイチオシのゲーム。

・アズール(Azul)

 →タイルアーティストとして宮殿のモザイク模様をつくるゲーム。インスタ映えする見た目だけでなく、クセになるプレイ感。最近、シリーズでステンドグラス版がでました。

・宝石の煌き(Splendor)

 →ボードゲーム界隈では言わずもがなの定番となった感のある、宝石を買い集める拡大再生産ゲーム。

・パッチワーク

 →二人ゲームの鉄板。

・クアックサルバー

 →ヤブ医者になって薬を調合するゲーム。袋から様々特殊効果のあるチップを取り出して鍋に放り込んでいく。バーストした時の絶望含めて何がでるかな的なわくわく感がたまらない。

 

 

北の大地からかるくさんが来阪される、ということで急遽?開催。

僕が主催ということで開催するボードゲーム会はすごい久々な気がします。

突発的な参加募集のわりに6人と以外と人が集まり、来ていただいたみなさんに感謝。そして、大人たちが夢中になっている遊びに参加したがるわが子を寛容に受け入れてくださったみなさんに深謝。

ギズモス準備中にフィーダーから取り出したボールを他のどこでもなく、ストック用の輪っかの中に置いた息子にわが子ながら感心。きっと優秀なボードゲーマーになることでしょう。

 

今回、改めて思ったのはなんていうんでしょうか。宝石の煌きとかアズールとか、クアックサルバーもそうだけど、こういう戦略もありつつインタラクションとか運とか不確実性もほどよく混ざっている1時間くらいのゲームが好きだなぁということ。

自分で遊ぶのもそうだけど、人が遊んでるのを見てるだけでも楽しい。そして、ゲーム終了後にこの組み合わせがいいとか、この動きが強いだとかああだこうだと言い合えるというのはほんとにいいゲームだし、時間であるし、場であるなと改めて。

 

最近はあまりコミュニティスペース(中津ぱぶり家)の運営に関われていないですが、<サードプレイス>についてあれこれまた考えたいし、いろいろやっていきたいな、と。

 

 

 

スピーチした話

気付けば昨年7/22以来音沙汰なかった本ブログですが、ここに来て久々の更新です。

その間のあれこれは直接会った時にでも聞いてください。

 

先日、学生時代(住んでた学生寮)の友人の結婚式がありました。

あろうことか(?)その友人は僕に披露宴での友人代表の挨拶を頼むというチャレンジ精神の持ち主。

まあ、実を言うと、彼には僕の妻の友人を紹介してて、その二人が結婚するに至ったという経緯を考えると、僕にスピーチを頼むというのはある意味必然といえば必然なのですが。

 

正直、依頼された当時はあまり深く考えずに「人生経験として一回くらいこういうのはやってみたいよな」と安請け合いしてしまい、「まあ前の週の週末にでも原稿つくればいいだろ」とか思ってたんですが、当然のように式が近づくにつれ、そんな過去の自分を恨めしく思うわけです。

さらにタイミング悪いことに、会社の方もなんだか猛烈に忙しくなってきて、1週前には5泊6日の中国出張なんていれられいれてしまったものだから、週末はおろか翌週の平日も出張中の溜めに溜めた仕事に追いつくのに必死でそのような余裕もなく…

気付けば式の前日夜10時くらいにせっせと原稿を書き始め、翌2時くらいにようやく完成。

 

披露宴がはじまるや同卓の学生寮の仲間たちが僕がスピーチやると知ってて、知っているからこそ、ここぞとばかり酒を勧めてくる始末。抵抗しつつも抗えきれずに酒を飲まされ美味しくいただき、なかなか回ってきた状態でスピーチのお声がかかり…

アルコールと緊張でウケてるかウケていないかも周囲の状況がよくわからない状況でしゃべるにしゃべり、原稿が頭から飛んだりしながらも、なんとかスピーチを終えました。

 

一仕事終えた開放感の助けもあり、その後の披露宴はただただひたすらに学生寮の仲間たちとの楽しい飲み会でした。ここは学生寮の廊下(*1)ではないかと錯覚してしまうくらいに愉快なひとときでした。

*1 僕が住んでいた寮では寮の行事のあとの打ち上げを各フロア毎に寮の廊下で行うという謎の文化・伝統(笑)がありました。

 

そんなこんなでひたすらに”飲み会”をやってるところに両家のご両親らがご挨拶に来ていただける次第。一応仲人的なポジションにあるので、大変ご丁寧に接していただける。

新郎父に「人生に恩人数あれば大恩人はそうはいない」というお言葉をいただき、「ほんとうに人のためになることっていうのはこういうことなんだろうな」と日頃の経済ゲームに邁進する我が身と場所を顧みずに友人たちとただの飲み会をやってる我が身をあわせて深く反省した次第。

いやーでもこの先これほど人から感謝してもらえるようなことをできるだろうか…などと考え、それって少なくとも会社の仕事ではないよなーって思いました。

 

自分史上最高の夏(予感)

連日の猛暑ですね。

前回のブログ投稿から1ヶ月半くらい経過していました。

すっかり夏ですね。

僕も自分史上最高の夏(業務オーバーフロー的な意味で)を迎えられそうな予感がします。てか半ば実現しているような気もします。

 

東京での生活がはじまったばかりの頃は想定ほどは忙しくなく、また予想以上に刺激もあり、意外といいもんだ、と思っていたのが1ヶ月くらい前まででしょうか。

 

その後、6月末に1週間中国出張に行ったあたりから仕事がまったく回らなくなり…

4年3ヶ月ぶり3度目のキャパオーバー状況に突入しています。

 

仕事終わりにボドゲカフェで遊ぶ余裕はどこへやら。楽しみにしていたエクスリブリスもツォルキンも未プレイのまま積んでます。

 

まあこれまでも部署異動や自部署のエース的な先輩離脱時とかに業務量がどかっと増えて潰れそうになったことはあったわけで、その度にひたすらに業務をこなすことで自分のキャパを広げつつ、効率のよい回し方を身につけて切り抜けてきたのですが・・・

 

冷静に状況を分析すると、4年前よりも圧倒的に処理能力は上がっているにもかかわらずかなり強烈にオーバーフローしており、だいぶやばい状況だとは思うのですが、そこは「今回も溺れかけながらもがいていればそのうちなんとかなるんでは」という生存の知恵だかなんだかで年々強化されてきた持ち前の楽観主義が色濃く、それほど深刻さがありません。

 

今の仕事自体は嫌いじゃないですし、おおむね業務量以外は不満もないのですが・・・

 

ところで、最近読んだ中では年刊日本SF傑作選に掲載される創元SF短編賞受賞作の八島游舷「天駆せよ法勝寺」がよかったです。仏教用語満載で構築されたSF世界がとても強い。仏塔がロケット、ロボット僧、パワードスーツが金剛力士像とかイロモノっぽいネタも多いけど、主人公が新天地へ向かう緊張感や使命感、信仰者として直面する葛藤とかも短編の中でうまく調理されていてとてもおもしろかった。

 

 

 

 

とりあえずまた1週間生き延びるためにがんばろうかと思います。

 

 

『孫子』を学びて人文科学の悲哀を感ず。

久々に大学で講義を受けてきました。

 

最近の大学って社会人向けの講座をやってたりするじゃないですか。「ビジネスマンのための中国講座」的なのをうちの会社が枠をとっているらしく。うちの部署では中国担当の先輩が受講してるんですが、その先輩が都合つかないということで代打で受講することになりました。まあその先輩から中国関連の仕事を引き継ぎ中なのである意味これもその引き継ぎの範疇という気も。

この講座は半期のうち前半はアカデミズムの人々が中国古典や政治経済について講義し、後半は中国で仕事したことのある企業人があれやこれや語るという構成。今回は中国古典から『孫子』と『三十六計』についてでした。

正直、企業人による中国ビジネス云々についてはいまいち興味がないのですが、中国古典についての講義は久々にアカデミズムに触れられるという点を差し引いても興味があったのでわりと前向きに参加。

 

講師は阪大の先生で諸子百家関連でいろいろ本を出されているようで、素人というかエコノミックアニマルへの講義も慣れているようでたいへんカジュアルでソフトな講義でした。

恥ずかしながら『孫子』は読んだことなかったのでこの講義でなんとなく読んだ気になれたのでお得感がありました。

(めちゃくちゃマイルドでぬるいとはいえ)久々の人文系の講義でテンションも上がっていたので積極的に質問したので、運営の人にも喜んでもらえたようです。

おもしろかったポイントがざっくり3つ。

 

1.『孫子』の中に「君主が無能ならばその命に必ずしも従う必要はない」という趣旨の文言がある。

 

これは結構刺激的な内容だと想うんですよね。中国には儒教に基づく「易姓革命」という、より上位の権力(”天”)を設定することで世俗の権力であるところの君主を打倒することを正当化する理論はあったわけですが、それも成立は孫子より後のことで少なくとも春秋戦国時代にはなかったでしょう。

それも、”君主”の上に”天”というより上位の権力を設定してる点においては、上下関係自体は厳守しており、むしろ上下関係を強化してると言えなくもないわけですが、『孫子』においてはそうではないという。まあこれは思想書ではなく、兵法書、すなわち戦に勝つためのハウツー本なわけですから、徹底的に実務によればそうなる、という当たり前の帰結なのかもしれません。

しかしながら、そのような革命的思想を含む書物が度重なる焚書を乗り換えて今も広く読まれているっていのうはすごいな、と。

ある意味後世に広く読みつがれるものというのは単純な原理主義・普遍主義というよりは一定の柔軟性、それは世俗の権力との衝突しうるものをもっている(だから魅力的)

ものなのでは、と。

 

2.昭和天皇の敗因分析

講師がつかみとして紹介していたのが、昭和天皇の独白録における太平洋戦争の敗戦分析でした。

陸海軍の不一致や過剰な精神主義/科学の軽視とか挙げてるんですが、まっさきに挙げているのが「兵法の不勉強。特に孫子」とか言ってるんですよね。おもしろ。

問題なのは、この文章には主語がなくて天皇自身がそうだったと言っているのか、軍首脳部なのか、あるいは国民全体だったのか、そのへんが不明瞭だと。

一説では「昭和天皇が責任逃れをしようとしたのではないか」という解釈もあるとかないとか。実際に昭和天皇は昭和7年に7回にわたって孫子についての講義を受けているんだとか。いやはや。

しかしまあ昭和天皇をして太平洋戦争の命運を分かたせたとさえ思わせる孫子、、、おそろい子!

 

3.ビジネス書ないしは自己啓発本としての『孫子

講義前から気になってたのが、なぜ現代日本において孫子はビジネス書として根強い人気があるのか。

 

明治、大正期の帝国軍人はわりと熱心に『孫子』を読んでたらしいですが、昭和期には人気がなかった、と。「こころ」だとか「大和魂」を重んじる昭和の軍人にはウケが悪かった(大意)。

そんな『孫子』がもてはやされるのは戦後意外と早くて昭和30年代のことだとか。この頃、経営学の方面で孫子の兵法を「商”戦”」に勝つための方法論として読み替えていく流れがあって、ビジネスマンにウケたらしい。

当時の中国思想研究者たちからは正確な読みでない、と苦々しい反応だったそうだが…

 

それが今となっては、中国思想研究の大家らしき人が企業人たちを相手に孫子を説いている有り様なわけで。時代は変わるわけですな。

奇しくもこの講師氏が講義の冒頭で昨今の人文科学の苦境(まさに大学では、中国思想系の研究が文学部、外国語学部、法学部とまたがっており、”なぜおなじようなことを別々にやっているんだ”と学科再編に乗じたお取り潰しの危機ある)を大阪冬の陣、夏の陣になぞらえた小噺として語ってくれていたわけですが、まさにこの正直忸怩たる思いも幾ばくかあろうかと思った次第です。

人文科学が生き残る道は社会に積極的にその有用性を示していく、対大学経営サイドという意味ではたとえばこのような企業人講義とかで稼げるコンテンツだということを示していくしかないんだろうな、と。

しかしまあ、こういう企業人向けに限らずテレビとかのお手軽コンテンツにありがちな「中国古典・文化がこうだから、それを幼少期から染み付いている中国人はこうだ!」みたいな固定的、断定的なものって人文科学のスタンスの対極にあるように思うんですよね。もちろん、尺の都合やわかりやすさ重視、もっと言うと受講・視聴後の満足度重視という観点からはそれが有効だというのは理解するんですが、もやもやしちゃいますね。

 

 

それはさておき、『孫子』も『三十六計』もわりかしおもしろかったので、これからは主にボードゲームプレイ中に「あ、この問題、『孫子』でやったことあるやつだ!と巧手を繰り出すときに「これぞ、連環の計!」とか積極的に使っていこうとおもいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京でビリヤニ食べて、大阪でもビリヤニ食べた話。

単身赴任はじめました。

 

 

先週末は自宅のある大阪に帰らなかったので学生寮のメンツ5人で集まる。

僕が提案してTwitterでバズってた新高円寺のネパール料理店サラムナマステへ。

なお新高円寺駅集合と言っているのに、高円寺駅になぜか行っている東京在住10年超の先輩1名と「録画してた銀英伝をみてた」ナチュラルに遅刻してくる同期1名という相変わらずのクソ寮クオリティでした(「銀英伝は名作だから」という理由で同期は許されました)。

 

目的はバズった元凶?であるところのビリヤニ(インド風炊き込みご飯)。

なお、その前日僕は千葉のインド料理屋でまた違うビリヤニを食べてたので2食連続のビリヤニでした。

 

Twitterを観測するところでは毎日提供している風ではなさそうだったものの、ダメ元でお店の人(ネパール人?)に聞いてみたら、「うそビリヤニ」だけでなく、「ほんとビリヤニ」もあった!

 

 

 

ビリヤニを食しながら飲むビールのうまいこと。

その後、新荻窪へ移動してだらだらと飲み続けました。

昼から20時まで約8時間もずっと飲んでたというのはここ数年なかなかなかったのでは。先輩が無職になってたり、先輩が愛のために研究の道から民間就職を決意してたり、同期は相変わらずギャンブル漬けだったり、後輩は期待を裏切らずにプリキュアに関する有意義な知見を披露してくれたので大変有意義な時間でした。

 

変わって今週末は大阪に帰ってきてました。

約2週間ぶりに会う我が子の成長ぶりに驚かされるというベタな父親をやってました。

あと、LED照明の交換とテレビの受信状態を改善するという2大ミッションをそつなくこなしたことで2週間分の不在に対するわずかばかりの埋め合わせを行うことができました。

 

そして、大阪・中津のビリヤニの日本初?のビリヤニ専門店「ダイヤモンドビリヤニ」へ。近所なので前々からちょいちょい行ってましたが、東京で2軒のビリヤニを食べたあと、猛烈にこの店のビリヤニが食べたくなった。

ダイヤモンドビリヤニの良さはいろいろあるけど、わかりやすいところでは「注文を受けてからご飯を炊く」こと。そして、「一人分の釜で炊く」こと。

これによってできたてホヤホヤのビリヤニが食べれる。そして、おこげがまた美味い。

あと、ヨーグルトソースだけでなく、カレーっぽいソースも味わえるところ。

最初の頃こそヨーグルトソースの酸味があまりビリヤニに合わないなあと思っていましたが、食べ慣れていくと「この酸味がさっぱりしていいんだよなぁ」になっていくから不思議なもので。

そんなわけで中津のダイヤモンドビリヤニ、オススメなのでみなさんぜひ一度ご賞味あれ(時間とお腹の具合に余裕があるときにしましょう)。

※僕は知人とこの店のすぐ近くの中津商店街内で「中津ぱぶり家」というコミュニティスペースを運営してたりします。

 

ビリヤニについて美味しいお店の情報があれば教えてください。

とりあえず食べに行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぷらすちっくな言語SPIEL」

ブログのタイトルをはてなブログからのデフォルト設定から、思い立って「ぷらすちっくな言語SPIEL」に改名してみました。

(いろいろそういうお年頃なので生温かい目で見ていただければ幸いです)

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きっかけはこの辺のツイート。

 

1.ぷらすちっく

「プラスチック(大阪では”プラッチック”)」と俗に言われているものは、熱可塑性樹脂(Thermo-plastic resin)の略です。読んで字の如く熱可塑性という特性を有する樹脂、特に合成樹脂、ということになります。

熱可塑性というのは、ごく簡単に言うと、熱をかけたら柔らかくなり、冷えると固まるという性質です。この性質があるからこそプラスチック製品は大量生産に適しているのです。プラスチックというと安っぽいイメージがつきまといますが、モノづくりにおいてこの①早く、②(複雑な形状も)自由に、③同じ品質のものを、④安くつくれるというのはとんでもなくすごいことなんですね。

なぜここまであれこれ書くかと言うと僕の本業がこのプラスチックに関連しているからです。

とはいえ、僕自身も熱、つまり外的刺激に対して柔軟に変化・対応できる。その変化を我が物としたらそれを保持・貫徹できる。そして、何度でも上書きして形状・思考が自由に変えられる可能性を保持している、そういう存在でありたいなと。やわらかさ、可変性に重きをおきたいという意思からひらがなにしてみました。

 

2.言語SPIEL(言語ゲーム

言語ゲームというのはご存知?みんな大好きウィトゲンシュタイン生の哲学概念ですね。

僕自身ウィトゲンシュタインには特別詳しわけでも思い入れがあるわけでもないのですが、学部止まりとはいえ、人文科学を専攻した人間としては広義の文学、言語にはいささかのこだわりをもっているつもりです。

それで最近まで知らなかったんですが、言語ゲーム(Language-game)は原語ではSprachspiel(言語spiel)という表記だとか。

Spielと言えば、ドイツ語で遊びやゲームを意味する言葉ですが、(ボードゲーム界隈では)ボードゲームやカードゲームの総称(特にドイツゲームやユーロゲーム)としても知られています。

ということで、直結しただけといういささか野暮な形ではありますが、人文系とボドゲ用語をここに絡めてタイトルとした次第です。

余談ですが、冒頭ツイートにある ごいたの言語ゲーム論的論考というのはそれなりにおもしろいと思うんですよね。ちょっと暇ができたらなんとなくまとめてみようかと思います。

 

というわけで今後ともよろしくおねがいします。