meirin213の日記

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませる熱可塑性会社員。ボードゲームとSFを好みます。

酒→コーヒー、哲学カウンセリングについて

<飲酒とコーヒー>


このところ、直属の上司が交代する関係で、社内外での歓送迎会が続き疲弊気味で
す。


飲み会で仕事を切り上げる時間が早い+翌日まで残る酒のダメージ+でも、捌くべ
く仕事量は変わらない…





それはさておき、先日京都でお客さんと3時間ほど飲んだ後、お客さんと別れまし
た。


その後、京都は上司が学生時代を過ごした思い出の街ということで(?)、なぜか
四条の喫茶店へ寄ることに。


そこで、飲み直すでもなくコーヒーをみなで一杯ずつ頼んでまったり談笑。


喫茶店も古き良き”洗練された純喫茶”って感じのなかなか格調高さそうな雰囲気の
いい店でした。


僕という人間は酒を飲むとついつい食欲の抑制が効かずに、帰り道にコンビニへ立
ち寄ってスナックとかスイーツを調達してしまう、という悪癖があるのですが、こ
の日はコーヒーの苦味でクールダウンできたのか、カフェインが効いたのか、穏や
かな心持ちで甘味を、カロリーを摂取したい、という衝動を抑えることができまし
た。





効果の検証も含め、今後も続けていきたい習慣と思いました。





<哲学カウンセリングと哲学カフェ>


中津ぱぶり家で隔週開催されている「いまを生き抜くための勉強会(通称:いま生
きぴょんぴょん勉強会)」にて「哲学カウンセリング」が取り上げられました。





哲学カウンセリングとは、その場でざっくり紹介されたものをざっくり理解したと
ころによると、





哲学カウンセラーは、相手の相談事について、話を聞くところからはじまるわけだ
けれども、いわゆる心理学的なカウンセリングと異なるのは、哲学カウンセリング
の場合は、カウンセラーはあくまでも議論のパートナーとしての立場に留まるもの
であるとか。つまり、一般にカウンセラーは医療における患者と医者の関係をひき
ずっていって、何らかの処方箋としてアドバイスを提供する(ことを期待され
る)のに対し、しか哲学カウンセリングの場合は、その哲学的・人文学的なバック
グラウンドを活かして論理的に考えるための助けとして、対話の相手というあくま
でも対等な立場で存在することはあっても、教えを授けるという支配・従属のよう
な権力構造を排した/排しようとするところにポイントがありそうです。





等と説明されてみて、なんとなくは輪郭は掴めても、果たしてそのようなものが成
立するのか、という疑問がすぐに浮かぶわけです。


というわけで早速それをやってみよう、ということになり、参加者の一人の相談に
哲学カウンセリングについて話題提供を行った人物が実践的に対応してみる、こと
に。





実際にそのやり取りを聞いているうちに、相談者が自分の現状の不安や悩みについ
て、その発話する言葉の、曖昧であったり主観的価値判断を含んだ内容に切り込
み、掘り下げていく上で徐々に論点が整理され、その根幹にあるものに迫っていっ
たり、どのような実践をすべきかが明確化されていくような印象をもちました。


また、今回は途中からなし崩し的に他の参加者もあれやこれやと話をしていたので
すが、各人のやり取りからいろいろ考えさせられました。





1.相談者の話を聞いていない。


・複数の人が相談者がすでに話している内容、あるいは言外のことから推察できる
内容について尋ねていました。


(※効果的に相手から情報を聞き出そうとする場合に、意図的に繰り返し聞くという
こともあろうかと思いますが、そういうことを意図した聞き方ではなかった)


・単純な聞き逃しもあろうかと思いますが、人の話を聞きながらその内容を体系的
に整理することは案外難しいことなのかもしれません。


・また発話者の意識/無意識の言葉選びや言い回しから、字面以上の情報を読取
る、ということも難しいのかもしれません。





2.対等な立場で話す


・今回の相談者は比較的若い人物だったわけですが、その人物に対して、自分の社
会的地位・立場をひきずって発言する人物がいました。(年長者が年少者を気にか
ける、諭すような口ぶり)


・ふつうの会話なら別に問題ないのですが、哲学カウンセリングとはフラットな関
係で行うもの、という説明を行った直後の出来事だったので印象的でした。


同じように参加者間の対等な関係を前提とした対話の場である哲学カフェでもこ
のような事例は散見されます。現代人だか日本人だか、そもそも人類一般だかは知
りませんが、社会的属性を脇において対話する、ということはある種の訓練が必要
なものなのかもしれません。





3.主観的な言葉


・主観的な価値判断を大いに含んだ言葉、たとえば「ノーマルな人生」とかを何の
留保もなく使う人が散見される。


・一般的に対話を行う場合は、多様な価値観(しばしば自分とは相容れなかったり
する)をもった人とも対話が成り立つように、価値判断が色濃くでるような言葉は
なるべく避けますし、人文科学の世界では迂闊にそのような言葉を出そうものなら
真っ先に突っ込まれます。ある意味、そのような言葉について掘り下げていくこと
で、それが前提としているものをあぶり出していくことで、問題の本質?や興味深
い議論に迫れるというものでしょうが。





4.拡散する議論


・話の中で、相談者の抱える問題の本質に迫れそうなことが出てきた、にもかかわ
らず、そのポイントとは異なる、しばしば瑣末なことがらに食いつくとか、せっか
くできている流れとは異なる方向に(意識せずに)話をもっていこうとする事態も
ままありました。


・議論において、どこが重要であるか、肝となるか、という見極めというのもある
種の技能や訓練が必要なものなのかもしれません。








だらだら書きましたが、これらは別に哲学、人文学の覚えがなくても、デキる人に
はデキる内容かと思います。


しかしながら、これらを身につける上では、人文学の訓練というものが紛れもなく
活きてくるな、と感じた次第です。そして、そのことは人々が世の中に対して主体
的になる、という中津ぱぶり家の背後にある理念パブリックエンゲージメントの考
えとも呼応するものであるな、と。





そういうわけで、個人的に哲学カウンセリングに期待をもって興味をもっておりま
す。ピーター・ラービというカナダの哲学者が第一人者だそうなのでまずは彼の本
を読んでみようかと。

 

哲学カウンセリング―理論と実践

哲学カウンセリング―理論と実践

 

 

それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?と思った話。

 

ツイッター佐々木俊尚の挑発的なエントリがあった。思わず読んだ。

bunshun.jp

佐々木俊尚についてはともかく、この記事についてはおそろしくセンスないな、と。

寧ろ各種の詭弁に満ちた全くもって危うい記事ですね。佐々木俊尚ってもうちょっと理性的な人物だな、と思っていたのですが…

 

具体的に。

彼は上野千鶴子細川護煕を引いて、”脱成長派”をあげつらっております。

この人たちが”脱成長派”の代表的な論客かどうかには異論を差し挟む余地は大いにあるかと思いますが、現代日本においてそれなりの発言力をもった人物であることには代わりないでしょう。

 

上野千鶴子の「みんな平等に、緩やかに貧しく」とか細川護煕の「欲張りな資本主義ではなく、心豊かな成熟社会に転換」などの主張は正直、それこそ左派の中でもそれほど受け入れられないというか、センスのいい主張として支持を集めるものではないでしょう。

それをあえて左派代表のように取り上げてボロカスこき下ろすというやり方はストローマン論法以外の何物でもないでしょう。さらに、そこに自らの知人という循環型社会の実践者を取り上げてみせて、あたかも左派全体がそのような生活の礼賛者であるかのように誘導してみせる、というのは悪質以外の何者でもないでしょう。

 

さらにもっとも致命的であるのは、佐々木俊尚自身は、彼の言う上野千鶴子細川護煕による「能天気な」主張というのは、彼の言葉で言う「社会のシステムを考える時に公私を混同」して語ってしまっている、と主張しているわけです。

 

しかしながら、彼が「経済成長を目指す必要ない」と言う主張を批判するときに提出している論拠というのは、彼自身の著作からの引用なのであるから、ある意味、彼の中での循環論法なのである。

根本的なところでは、相対的貧困率の上昇、具体的にはシングルマザーや中高年ひきこもり、非正規雇用者を上げ、「現状がただでさえこうなのだから、(経済成長しないことにはこれらの人々は救われようがない)」という主張をしている。

しかしながら、こういう主張というのは僕からすれば自明ではなくて、寧ろ、経済成長を志向した社会であるからこそこのような相対的貧困の苛烈化が起きていると言えなくもないわけですし、経済成長すればこのような問題が解決できる的な思考はトリクルダウン理論的な水モノ以外の何物でもないと思うんですがこれは…

まあこの辺の議論については多様な立場からの異論・批判があって然るべき内容かと思いますし、現代社会における理性ある知識人たろうとすれば、そのような批判を意識してものを語るべきではないのでしょうか。

それを「たわごとと言われてもしかたないだろう」などと一笑に付すようなパファーマンスはして強がってみせているものの、このような姿勢というのは理性的な反論が困難であることの表明であるとも言えるわけで。

とにかく、彼の立場を自明ではない立場の人も射程範囲内に収めるような議論もできていないのに、上野千鶴子細川護煕らを公私混同という名目で切って捨てるというのは、

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って感じですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月の中津ボードゲーム会。

 

本日はおよそ月に一度の中津ボードゲーム会でした。

 

ボードゲーム会の前に、会場の中津ぱぶり家近くのスパイスカレー梵平で昼ごはん。

本日のミックスはいつものキーマと、エビとアサリと鶏ミンチのカレーでした。いつものことながら素晴らしくうまい。

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※中津にもいろいろ有名店も多いですが、僕は梵平のカレーがいちばん好きですね。姉妹店のダイヤモンドビリヤニともどもおすすめです。

 

それはさておき、本日の中津ボードゲーム会は入れ替わり立ち替わりで総勢11名の参加でした。

この会はわりとガチのボードゲーマーというよりは比較的ライトな参加者が多い会ですが、今回は今日がボードゲームデビュー!という方もいらっしゃるくらいでした。最近はメディアで取り上げられる機会も増えていますが、ボードゲームの輪がもっと広まるといいですね。

 

 

1.宝石の煌き(Splendor) 

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プレイ時間:30~40分。

宝石商人となって宝石を買い集め、商人としての栄誉を競うゲーム。

宝石チップ(トークン)を集めて「宝石カード」を購入する。買った「宝石」は新たな「宝石」を購入する際の原資となり、購入コストが安くなっていく…余談ですが、こういうジャンルのゲームを”拡大再生産”系とか言ったりしますね。

僕がボードゲームの中でも最もやりこんでいると言っても過言ではないゲームですね。

今回は3人でプレイ。3人だと特にトークンが枯渇しがちでカツカツの戦い。

今回はきれいに緑3青3白3と綺麗に揃えて貴族を呼んで、僕が勝利

 

2.キレイがキライ

 

Drecksau: Kartenspiel für 2-4 Spieler

 プレイ時間:10分。

自分の豚を泥んこにするゲーム。せっかく豚を泥んこにしたと思ったら、他プレイヤーに洗われちゃったり、雨に流されたりするゲーム。雨除けの豚小屋を建てたと思ったら、雷を落とされて破壊されるので、避雷針を設置するとかよくわらかん。

 

3.ワードポーターズ

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プレイ時間:20~30分

言葉の連想ゲーム。限られたワードの中から3つのヒントを選んで自分のお題を他のプレイヤーに当ててもらう。素直に当ててもらおうと最善のヒントを出したつもりがまかり間違ってディスコミュニケーションが横行する…

同人ゲームですが、コンポーネントがなかなかしっかりしています。6人でわいわい遊びました。

 

4.キングドミノ

キングドミノ 日本語版

プレイ時間:20分

ドミノ(タイル)を集めて、地形を合わて配置し、領土を広げていく。2016年のドイツ年間ゲーム大賞ノミネートの3作品のうちの1つ。地形をきれいに合わせてハマると気持ちいですね。サクサク遊べてボドゲやってる感もあっていいゲームですね。

 

5.フィルムを巻いて!

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 プレイ時間:40分

フィルム式のカメラをモチーフとした作品。フィルムを巻いて写真を取る、煩わしさ、もどかしさ、不自由さ、しかし味わいがうまくゲームに落とし込まれている。

これまた同人ゲームですが、デザイナーさんのこだわりが光る印刷加工もいいですね。

 

 

6.テレストレーション

テレストレーション日本語版

みんな大好きお絵描き伝言ゲーム。

 

7.バトルライン

バトルライン 日本語版2016

名匠:クニツィア先生による二人専用ゲーム。ポーカーと7並べの二人対戦ゲーム。

これも好きでかなり遊んでるゲームですね。

 

7.ミステリウム

ミステリウム 日本語版

協力ゲーム。幽霊役のプレイヤーが探偵役の他プレイヤーたちに連想ゲーム的なヒントを出していき、自分を殺した犯人を当ててもらう…的なゲーム。

 

8.パンデミック:完全治療(ザ・キュア)

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協力ゲームの名作:パンデミックのダイス版。未知の感染症パンデミックから人類を救うべく、地球を奔走するゲーム。いっぱいダイスを振れるところも含めて僕はこっちの方が好きですね。

今回は初回はバイオハザード出しまくりでエピデミックが頻発し、難易度Ⅰにもかかわらず、治療薬を1つもできずに人類が滅ぶ…

さすがにあっさり終わりすぎたので2度目のトライ。

 

 

9.ハゲタカのえじき

 

カードゲーム ハゲタカのえじき 日本語版

シンプルないわゆるバッティングゲーム。ボドゲ初心者の方にまずはこれ!

 

 10.犯人は踊る

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招待隠匿系ババ抜き。

 

11.キャットアンドチョコレート幽霊屋敷編

キャット&チョコレート

幽霊屋敷探索中に起こる不測の事態を手持ちのアイテムを使って乗り切る、という大喜利風味のゲーム。ノリと勢い。

 

他にも稼働しているゲームもあったかと思いますが、とりあえず覚えてる範囲で。

 

今回は協力ゲームとかコミュニケーション重視のゲームを多く遊びました。

次回は7月かな。

人文科学の敗北。あるいは。

 

上司が海外赴任にすることになった(非英語圏)。

赴任までの間、語学研修として民間の語学講師による現地語の授業を1対1で受けているらしい。

その語学講師の方は、大学院を出て、本業としては大学で語学の非常勤講師をしており、副業的な感じで企業向けの講師派遣派遣をやっているらしい。

ということは、その講師の方は地域研究なり文学研究なりの方なんでしょう。まさに人文系な方なわけですね。

 

さて、上司の話に戻ります。

この上司、当初は新天地に対するモチベーションも高く、語学研修にも前向きでした。しかし、40代半ばのおっさんにとっては新規言語習得はハードルが高かったようで。全くもって語学の覚えがよくないらしく、これには講師の先生も呆れ顔。

きっと受け持っている大学生よりも覚えがよくないんでしょう。

上司は自分の不勉強そっちのけで講師に対する不満をだらだらと垂れ流し、しまいには業者に連絡して担当講師を変えてもらおうかなどと言い出す始末。

 

いやまあ人文系の院卒の人で、アカデミズムの世界に残りながら食っていけているというのは比較的いい方なのかもしれない。しかしながら、食い扶持を稼ぐためにはこんな無教養なおっさんにボロカス言われなければならないとは…なんだかなぁというかいたたまれない気持ちになりました。

あえて逆説的な物言いをするならば、だからこそ人文科学は尊い、と言えるのかもしれません。

 

 

そんなこともあってか?今年の8月に2日間の日程で京大で臨床倫理の入門コースをやるそうなので応募してみました。

京都大学大学院文学研究科 応用哲学・倫理学教育研究センター

参加費無料(食費・懇親会費は別途)というのはなんとも太っ腹ですね。

 

大学で開催されるイベントに参加するのはすごく久しぶりな気がします。たまには頭を使ってこようかな、と。まだ先ですが、今から楽しみです。

 

ブログをはじめました。

思うところあってブログをはじめました。

再開したというのがより正確でしょうか。

 

学生時代は暇に任せてちまちまとよく記事を書いてました。

当時のブログは住んでいた寮でのあれやこれやから学問っぽいこと、あとアニメの話とか。

その後、会社員になってからは更新のペースは落ちつつも、書くには書いてました。

とはいえ、徐々に筆を執る機会も減り…

 

すっかりまとまった文章を書く機会がなくなってしまって約3年。

(まあ瞬間的にブログ再開しようとしたときもあったのですが…)

 

こうして改めてブログを開設するに至ったわけですが、人間、約3年もあればいろいろあるもので。

以下、大まかな変化点をば。

 

ボードゲームにハマって、すっかり趣味となる。

・知人とコミュニティスペース(※中津ぱぶり家)を運営する。

・走らなくなる。山も登らなくなる。

・結婚する。

・子供が生まれる。

 

その一方で変わらないことも。

 

・合成樹脂を売ることを生業としています。

・関西に住んでいます。

・SF読んでます。

・深夜アニメを見ています。

 ※今期は「月がきれい」がいいですね。

 

まあちょっと中津ぱぶり家の関係者で9月の文学フリマ大阪へ出展するという話になったのでリハビリも兼ねてつらつらと仕事以外でも文章を書いていこうかと思ってます。

ボードゲームとか中津ぱぶり家のこととか書いていこうかと思います。

では。

 

 

 

立ちすくむは国家か。不安なのは誰か。 ―経産省若手作成資料「不安な個人、立ちすくむ国家」とそこに言及されないものから

経産省の「次官・若手プロジェクト」なる集まりが作成・公開した資料がSNSでいろいろ話題になっていた。

当の資料はこちら。

不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

 

SNSにおける反応の一例はこちら。

togetter.com

 

読むだけでなかなかにイライラできるツッコミどころの多い内容となっております。

細かいところを指摘しだすとキリがないので割愛しますが、いろいろ残念な点がつきません。もうちょっと論理的にというかストーリーが流れるように資料をつくることができなかったのか。これが日本経済を主導する立場の人かと思うと景気低迷もお察しな感じしかないですね。。

 

さて、まずはこの資料で評価できるところを先に挙げましょう。

1つは(本音はともかく)「政府は個人の自由な選択を支えるべき存在」というある意味当たり前のことを明確に書いていることですね。インターネット等に住まうというネトウヨなる人々(や一部の政治家)は「個人は政府のためにある」などと本気で信じているようですが、しばしばパターナリズムやエリート主義の権化と揶揄される官僚の皆様もそれを直接的に言明してはいけないという良識は備えているようです(しかしながら、この資料の行間からは「大衆(愚民)はわれわれによって導かれ、管理されるのが幸福である」という本音/信念を隠しきれていないようですが…)。

 

もう1つは、日本における母子家庭の貧困や貧困の連鎖を定量的にわかりやすく示しているところ。以上2点です。

 

しかしまあこの後に、日本は各国との比較で政府の高齢者向け支出(正確には年金、介護)が現役世代向け支出(家族、住宅等)に比べて突出して低いと指摘している。政府支出の各項目に対する金額は厳然とした事実なのだけれど、この項の前では、散々「高齢者は労働力があるにもかかわらず、働きもせず家でテレビみるばかり。そして、医療費を浪費している」と高齢者に対するヘイトを高めるような煽りがこれでもかと陳列される。

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貧困の連鎖というのが社会の重大課題であることは官僚たちに指摘されずとも、誰しもが認めるところであるだろうけれど、それは主に富の再分配の問題であり、そして、それは現役世代と高齢世代という世代間格差(がまったくないとは言えないけれど)の問題というよりも、明らかに貧困層と富裕層という経済格差の問題でしょう。

この資料では、政府の社会保障費用が有限であるかのようにして、高齢者と現役世代におけるパイの奪い合いであるかのように読者にミスリードさせることを意図的にやっている。こういうところが悪質。

そこは、経産省の官僚サマならば、そこは産業振興なりイノベーションなりで経済成長を成し遂げて財源確保するとか言ったらどうなんでしょう。

 

そう、この資料においては、経産省の若手官僚による資料でありながら経済成長を目指すという方向性の議論がないのである。それこそ、”本業”について迂闊に言及しようものなら仮にも経産省と銘打っている以上、それが経産省オフィシャルの見解と取られかねない…などと日和っているのかも。

(それはそうと、この資料では他省庁、特に厚労省管轄の領域についてばんばん物申しちゃってるわけですが、官僚界では若手の自主勉強会などと銘打ても、他部署の島を訳知り顔で荒らし回っても、偉い人のお怒りを買ったりしないものなのでしょうか。だとすれば、官僚機構を再評価したいところです。)

 

そもそも、僕なんかからすれば「経済成長」モデルについては先進国、こと人口が減少に転じている日本においてはとうに破綻しているように思えますが、この資料における

「経済成長」の不在というのは、経産省の若手たちもこの経済成長モデルを最早信じていない、少なくとも現実的でない、あるいは経済成長モデルにはそれを用いてあり得べき社会設計を行うのが困難であると消極的に認めてしまっているということを意味しているのではないでしょうか。だったら経済成長路線からのドロップアウト、経済大国の看板を下ろしちゃえばいいんじゃないでしょうか…

 

もう1つ。

 インターネット/ソーシャルメディアの普及が社会全体の意思決定にも変化している、との文脈で以下のようなスライドが。

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これに続いてくるが、

インターネットは個人の選択を支えるものだが、

 個人の判断や行動が誰かに操作されるリスクも当然に内包する。

 

上記の記述については、大変ごもっともな話かと思いますが、このあとに政府による何らかの介入・統制の必要性を仄めかす文言が続くわけです。

つまり、”自分たちではない誰か”が大衆を特定の方向へ意思決定を誘導することは扇動であり、明確に”悪”なのだけれども、”自分たち(官僚・政府)”が同様に大衆を誘導する(それこそまさにこの資料でやっていることなのだけれど)ことは、「民を正しく導く」こととして肯定される。なんと前時代的な世界観であろうか。

一個人からすれば、特定の団体であろうが、個人であろうが、はたまた政府であろうが、社会的意思決定に政策提言等の形で介入を試みるのであれば、等しくその内容の是非や優劣でのみ判断されるべきであり、それが政府発信であることが、なんら正当性や妥当性を付与するものではないでしょう。そのような反論を予め想定して、政府や官僚による提言、誘導の正当性を補強する何らかのロジックを導入しておいて然るべきところなのですが、それがこの資料にはまったくない。ということは、この人たちは本気で上記の前時代的世界観を生きているのだろうか。これには戦慄を禁じえない。

 

とは言いつつも、ある意味、官僚というのはそういうものだという諦念のようなものはすでにある。というのも、戦後や高度成長期ならいざしらず、現代においては、事務処理能力に優れた若者の労働環境として、官僚よりも待遇がよかったり、社会的名声を得られるような選択肢と言うのは無数にあるわけで(そういう意味でもいい時代になったものですね)。そんな状況であえて官僚を目指す若者というのは、「俺こそが日本という国家を支えるのだ」とか「大衆(愚民)を導くのだ」的なメンタリティをもった若者くらいの他には官僚以外の選択肢を見出すには視野狭窄な者くらいしかいないんじゃないでしょうか。

 

最後に。重複しますが、この資料の根本的な矛盾としては、「万人が万人に共有できる目指すべきモデルが無効化してしまっている」という”卓見”を資料中で度々ご披露されながらも、結局はこの資料に貫かれているのは「われわれが民を導くのである」という姿勢であり、それは自ら困難と断じたばかりのものを愚かしくも繰り返そうとしているだけではないだろうか。

 

これらの迷走っぷりから推し量れるものというのは、結局この資料のタイトルに立ち返るのだけれど、国家が立ちすくんでいるのは、その中の官僚であるところの自分たちであろう。そして、不安を抱えた個人というのは、実務として「経済成長」モデルの不非現実性を理性的に理解しながらも、それを感情的には認められない、そのような苦悩を抱える経産省の若手官僚に他ならないのではなかろうか。

 

しかし、まあ資料の一番最後のスライドなどはイキりオタクも真っ青のイキりっぷりではなかろうか。まあ最早こういうのに共感を覚えるような人しか官僚にならないの時代が来ているのだろうけれど。

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