急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

プラネタリウムに行った話/社会の科学化と科学の社会化

近所の科学館(伊丹市立こども文化科学館)へ行ってプラネタリウムをみた。


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プラネタリウムへ行くのは何年ぶり、最後に行ったのは中学生くらいだったような気がするので二十年近く前ということになろうか。

そのときにあまりこういうのに関心がなさそうな父がプラネタリウムにいやにポジティブだったので(父が理系だったというのは後に知った)なぜかと聞いたら、適度な暗さと穏やかなBGMで練るのに最適、という趣旨の答えが返ってきた。子供心にお金を払ってまでプログラムをみずに寝るなんて…と思ったことを今の今まで覚えているくらいだったんですが、自分が子供を連れてプラネタリウムに来る側になってみるとかつての父の言にしみじみ共感できるようになったなと。

 

ちょうど伊丹の科学館は30周年ということでロビー近くで開館当初からの全上映プログラムのポスターの展示があった。

それをだらだらみていて思ったのは開館当初(1990年)からざっくり90年代くらいは宇宙旅行・探検ものみたいなのが多かった。

思えば僕が小学生の頃に地元の科学館のプラネタリウムでみたのもなんか宇宙ロケットで星間飛行するやつだったと記憶(なんかブラックホールに吸い込まれそうになる件があって吸い込まれたら無になるみたいな説明がしばしトラウマになった)。

それが、時代が新しくなるにつれそういういかにもな宇宙SFチックなコンテンツは減っていき…直近は科学館のゆるキャラ的なものが前面に押し出されていたり。象徴的なことには30周年記念の最新上映プログラムは伊丹市の名所散策とだいぶスケールが縮小。

まあこれは極端な話だとしても、一人のSF読みとしては、近年の宇宙SFの衰退というか、一昔前の派手なスペース・オペラって流行らないですよね。僕自身も決してそういうのに魅力を感じるわけでもないですが、そういう物理スケール的にも大きな物語を流行らないということをこういうプラネタリウムのプログラムの履歴からも勝手に読み取ってみたり。。

ある意味、この30年で”社会の科学化”が進んだ、すなわち社会の重要な意思決定における科学の役割が増したということであり、その結果として"科学の社会化"も進んだ、すなわち科学の側も社会の要請、ニーズのあるところに重点的に資金や人材を投資していった結果として宇宙とか天文という分野が下火になったということなのだろうかと伊丹市の名所案内を眺めながら思った次第。科学館のありようもこれからどんどん変わっていくことだろう。