急がばしゃがめ

コンクリートジャングルで合成樹脂のささやきに耳を澄ませては目を回す。人文系だけど高分子材料でご飯食べてます。。SF読んだり、ボードゲームに遊ばれたり。一児の父。

ヒューリスティックとシステマティック

中身のない発言しかしない政治家がなぜ大衆から支持される/されてしまうのか、について先日こんなツイートが。

 


丸尾宗一郎 on Twitter: "三浦麻子先生に書いていただきました。「説得」に関する社会心理学の研究をもとに、小泉進次郎氏や大阪維新の会に感じる「説得力」の意味について考察してくださってます。ヒューリスティック処理/システマティック処理が政治行動にどう影響するかが垣間見えて面白いです。 https://t.co/JIzs2eCNCi"

 

ツイートの記事はこちら。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68625

 

要約すると、人間がものごとを判断処理するプロセスには濃度の差はあれ、ごく簡単に入手できる手がかりから判断する「ヒューリスティック処理」とより深く情報を吟味する「システマティック処理」の2つに大別される。

実験者に課題を与え負荷をかけた状態=ヒューリスティック処理されやすい環境では、具体的政策を掲げる非地元の人物よりも、具体性のない発言をする地元の人物が支持される傾向があったという。

 

阪大の社会心理学の教授が言うのであればそうに違いないという安直なヒューリスティック処理はおくとして、この記事によると、中身のない政治家というのは、まさに中身がないが故に支持される、ということになる。

自民や維新の政治家たちの時に暴力的ですらある空虚というのは選挙に勝ち、大衆から支持されるという点では極めて合目的であるという点で決して虚無ではなかったのである…などということをいまさら訳知り顔で言いたい僕ではない。

 

この記事は当面はこのような中身のない政治家たちが跋扈するだろう、で結ばれている。

それでは、中身のある政治家による政治を実現させるにはそのような政治家にも表面的には空虚な発言を繰り返させるのがよいとでも言うのか。

ここで少し顔を上げて視野を広く持ちたい。

選挙、ひいては政治というものが多くの人にとってヒューリスティック処理されがちな事象になっているのは現在の政治情勢からも明らかである。その現状に合わせて自己の認識、そして行動を変えるというのが心理学的アプローチであり、そういう身の振り方こそこの現代社会を賢く生き抜く術であろうことは僕も理解しているつもりだ。

しかしながら、紛いなりにも人文科学の徒として教育を受けリベラルな感覚を身に着けた僕としてはこのような現状こそが決定的に間違っているように思えてならない。ただし、ここで間違っていると言う時に、政治をヒューリスティックに処理する/せざるをえない人を非難するのではなく、そのような社会状況を放任しているという言い方では生ぬるい、なんならそれを永続、強化する方向に精を尽くすようにすら思える政府与党であったり経団連ら経済勢力、(本来優秀な頭脳をお持ちであろう)官僚諸氏をこそ糾弾すべきだと思うし、そうしたいのである。

 

などと偉そうなことを言っているけれど、かく言う僕もその日その日の仕事を回すだけに疲弊して社会に対して目を向けてこなかった。

この秋転職していくらか時間的にも精神的にもゆとりができたのでぽつぽつと行動、発信の機会を増やしていきたい。(というまったく具体性に欠ける所信表明)